3月11日

2011年の3月11日は日本人には忘れられない日になった。

 野宿をした翌日、一走りしてからカフェに入った。イタリアでは普段と変らぬ風景で人々が特に深刻な顔をしているわけでもない。カフェで運ばれてきたカプチーノをすすりながら、カフェの壁に据え付けてあるテレビの画面に目をやる。

 画面には黒い水流が車を押し流すシーンが映し出された。それを見て「どこかで洪水でもあったのか?」水流飲まれ流される車を見て「こりゃ相当な被害だな」。

 テレビの放送はイタリア語だったけど、画面の左隅に「仙台」というテロップがチラリと映り込んだ。「仙台?日本?」すぐさま席をたってカフェの店員のところに行き

「あれは日本?」

と聞くと

「そうだ日本だよ、大きな地震があったんだ」

「あんた日本人?」

と言うので「そうだよ」と答える。

「大きな地震」ってどの位の大きさなのか、震源地はどこなのか、被害はどうなのか?次々と疑問が浮かぶ。店員さんに

「この辺りでインターネットが出来るところはない?」

と尋ねると

「うーん、ないね」

と返事が返ってきた。ここはローマから離れた田舎の一本道の町とも呼べないところ。確かにインターネットなど無さそうだ。

ここにいてもどうしようもないとにかく先に進みインターネットの出来る町を探さねばならない。

「一体どうなってしまったのか?両親、友人、知人、旅行中で出会った多くの人は無事だろうか?」

浮かんで来る不安を抱えながらインターネットがないと何も出来ない歯がゆさを感じ、焦る気持ちを抑えてペダルを踏んだ。
 

【写真】2011年3月11日のイタリアのテレビ放送。
【写真】2011年3月11日のイタリアのテレビ放送。

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