フェロスさん

ボローニャでの滞在も10日が過ぎた、本当にあっという間に感じる。

日増しに手品をする場所や人の動く時間帯が分かってくるので芸の効率が良くなっていく。フィレンツェでもそうだったが、長く滞在すればその地での要領がつかめてくるものだ。

先日は雨と風の日だったが、今日は青空で太陽が出て穏やかな日になった。そろそろコインが増えたので紙幣に両替するとしよう。コインが多いと重過ぎて移動が大変になるのだ。

まず、スーパーマーケットの「リドル」、それから中華食材屋を扱っているお店、スーパーマーケット「コープ」でコインを紙幣に交換してもらった。その後はボローニャの街中に向かい、先日路上で知り合った、バングラディシュ人のフェロスさんに会う。

フェロスさんは日本滞在が長かったので日本語を流暢に話す。今でも十分に話せるのだが、当時はもっと上手かったというから驚きだ。電話に出るとよく日本人と間違われたというからどれくらい堪能だったかがうかがえる。

そんな彼が初めて日本に渡ったのは1987年、日本語勉強のための語学学校に通っていたという。それからコンピューターの専門学校を卒業して、ファミレスなど点々として、最後はクラブで働いて、2003年に不法滞在がばれて、バングラディシュに戻されたとのこと。クラブに勤めていた時期は月収が100万円もあったとか。

バングラディシュに戻ってから結婚し、今度はイタリアに仕事を求めて来たのだ。「クラブ時代の儲かったお金は?」と尋ねると「全部使っちゃった」と言う、バングラディシュの物価を考えると、どういう生活をしていたのだろうか。お茶が一杯10円で飲める国で大金を使うのは難しいと思うのだ。フェロスさんに尋ねると「気が付いたらなくなっていた」みたいに言うのだけど、どんな使い方をしたのか。

イタリアに仕事に来たものの、ここ2年は仕事が見つからないという。「バングラディシュで仕事は無いのか?」と聞くと「バングラディシュでの仕事はしたくない」と彼。フェロスさんいわく、とにかく自国では全く働く気がしないとのこと。

この感覚が不思議だ、しかし分からなくもない。自国の何倍、時には何十倍のお給料が出る国があるならそこで働きたいという気持ちにもなるだろう。

イタリアの都市ではどこでもバングラディシュからの労働者を見かける。

【写真】路上で焼き栗を売るバングラディシュ労働者
【写真】路上で焼き栗を売るバングラディシュ労働者

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