2012年になり無銭旅行を始めてから11年が経過した。
2002年の3月に日本を出国したので海外に出てから丸10年が経ったことになる。
お金もろくに持たない男がよく現在まで元気でいられるたものだと思うのだが、これもひとえに出会って水や食事を恵んでくれたり、宿を提供してくれたり、手を差し伸べてくれたり、コインを投げ入れてくれた人々のおかげである。
本当に感謝しております。
この旅行を始めてから自分一人の力の無力さを嫌というほど思い知らされて、いかに自分が人と関係しながら生きているかがよく分かった。
などとこの10年徒然を書き始めると長くなりそうなので今回は、この旅行の原点であるなぜお金を持たずに旅行を始めたかを述べてみたいと思う。
なぜ無銭旅行なのか
別にイチイチ改めて述べるほどのことでもないのだが、通常お金を持ってする旅行をあえて無銭で行くからにはそれなりの理由がある。
いや、お金を必要とするのは何も旅行だけではない、飲み物や食べ物を買うのはもちろん、タクシーや電車に乗るのにも生活の大部分はお金がかかることが多い。
もう当たり前すぎて誰も気にしないというか当然と受け取られているので殆どの人は考えもしないと思うのだけど。
そう気が付いて改めて身の回りを見るとなんでもかんでもお金がかかるのが分かる。
「ふとお金がなかったらどうなるのだろうか」と考えてみる。
財布を忘れたり、落としてしまった時、ものすごい不安な気持ちになった、回りに友人知人が居れば、一時的にはしのげるが、もし見知らぬ土地で一人だったらどうするだろうか?
そう考えた時に自分がいかにお金を頼りにし、信頼し当てにしているかが分かってしまい、それと同時になんて「情けないのか」と思った。
お金がないだけで「不安になるとはなんとも情けない」と思ったのが始まりだ。
とにかく自分はお金に依存し、支配されていたのだ。
これはこれでこのまま行けば普通なのだけど、「お金が全て」という考えに賛同したくない自分がいる。
「お金が全て」でもいいのだけど、それじゃ何だかあまりにも現実的過ぎて面白くない。
いっちょ、それ以外にもっと大事なものがあるんだというのを証明してやろう、なんだかロマンがあるじゃないか。
「お金」の代わりに「強い意志」を持って進んでみよう「意志あるところに道はある」。
とまぁ、無茶なロマンを求めて無銭旅行が始まった。(他にもいくつか理由があるのだけど、それはまた後ほど。)
11年が経過して
動機はともあれ、そしてお金を持たずに無銭旅行を敢行したわけであるが、そして何が分かったか、何を感じたかが重要である。
現在の心境は世界の何処の辺境でも、お金がなくても、クレジットカードがなくても何とかなるだろうというものになった。
それが芸はできるとか、コミュニケーションが取れるなどではなく、「誰かのために何かをできること」が重要なのだと、それが分かれば世界の何処でもどうにかやっていける、例え財布にお金がなくともだ。
これはまだ一つの結論であり過程である、無銭旅行はまだまだつづくのであった。(一体いつまで続くのか?)
今日は以上です。
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