髭の男

 海沿いの小さい街カオルレから更に東にあるリニャーノ・サビアドーロに向かう。

 向かい風の強い日で、ペダルがずいぶんと重い。

 やっと見つけた道路沿の木陰にちょっとしたスペースを見つけ一息。ふと振り返ると私の後方から荷物をくくりつけた自転車がこちらに向かっているのが視界に入った。

 大抵こういう場合、「おっ、あんたも自転車旅行か!」という感じで会釈やら手を振ったりする。相手が話してみたいと思えばブレーキをかけて少々の立ち話をすることになるのだが、ことヨーロッパでは自転車旅行者が多く、わざわざ止まってまで話をする人は少ない。

これがパキスタンやイランなのど自転車旅行者のいないところになるとまず止まって、「どこから来て、どこに行くのだ、路面の状態はどうだった?」などと情報交換をはじめ色々と話をすることになる。

自転車の荷物が多ければ多いほど、自転車に年季が入っていればいるほど、自転車の形が個性的であればあるほど、話しかけたくなる。「どこをどうしてやってきたのか?」。

話は戻って、彼が通り過ぎる瞬間に「やぁ!」と軽く手を上げる。すると彼の自転車がピタリと止まった。おっ。

自転車は新しそうに見えるが、乗っている男の髭は長い。1日2日の無精ひげではない、恐らく数ヶ月から数年と思われる金髪の髭が伸びている。男の髭の長さは社会にかかわっていなかった年月を表しているといってもよい。なぜなら仕事をしていたら、それほど髭を伸ばせないだろうから。

「チャオ」というイタリア語で話が始まった、私は髭の男が一体どれほどの旅行をしているのか推測できなかった。

その昔、髭を伸ばしていた旅行者に何人か会ったことがあるが、こぞって2年、3年の旅行をしているのだ。この髭の男も彼らに見劣りしない立派な髭だ。きっと長旅に違いない。しかしそれにしても自転車は新しい。最近自転車を換えたのだろうか。

話の流れは当然、お決まりの「どこへ向かうのか」と「どこから来たのか」と話が進む。髭の男がボソッと言った「ミラノから」。一瞬思考が止まってしまった。「ミラノってあのイタリアのミラノ?」って思わず聞き返してしまう。ミラノはここから離れているがせいぜい400kmと言ったところだ。その髭に似つかわしくない、近郊だ。きっとミラノ出身で色々と回ってきたのだなと思い。

次の質問は「どれくらい旅行しているの?」

彼が「おっ」という様な顔をしたのを私は見逃さなかった。 ゴクッ、私は頭の中でその髭相応の年月の返答があるのを期待した。

「ドゥエ(2)・・・」

あご髭を右手でなでるようにさすりながら彼が口を開く 2と言う数字が彼の口から出た「そうか2年か・・・」とうんうん、それなら髭に見合った年月だと納得しかけた。続いて彼が

「ジョルニ」

と続けた。「ジョルニ?」聞いたことある単語だ、あれだ?なんだ?。確かイタリア語で「年」は「アーノ」だったはずだが。頭の中のイタリア語の辞書をペラペラとめくる、そして気が付いた、ボンジョルノのジョルノだ、あれだ、「日」だ。えっ、日?何?2日ってこと。
再び聞きなおしてしまった。「2日??」。しかしどんなに早くてもミラノからここまで2日で来れる距離ではない。どうやって?と私は興味津々に聞いた。すると彼はミラノから電車でベネチアまで来て、それから自転車旅行始めたんだと明るく言う。あれっ。
なんだ髭は?何にその髭?と一応失礼のない様に聞いてみる。 「ああっ、これね、気にいって伸ばしているだけだよ。ここ最近仕事もないからね。」とまた明るく言うのだ。

フーム、その髭の長さは旅行の期間ではなく無職の期間を物語っていたわけだ。しかし髭があると就職しにくいのではと思ってしまうのはいらぬ心配なのでしょうか。

【写真】髭長きサイクリスト、ルカ君
【写真】髭長きサイクリスト、ルカ君

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