帰路徒然

歴史を感じさせる重厚な造りのイタリア銀行でコインを紙幣に交換してもらい、ベネチアへの出稼ぎが終了した。

 遠路はるばる出稼ぎに来た割には天候に恵まれなかったり、滞在費がかなりかかったので収入は驚くほど少ない。

手元に残った紙幣を眺めて、赤字にならなかっただけまぁよいではないか、懐かしい人に会えたり、また新たな出会いもあったのだから、そういうものはお金では買えないものだと妙な言い訳を自分にしながら帰路についた。

 ベネチアに来た時とは反対に鉄道や、バスを乗り継ぐ度に外気が暖かくなるのを感じた。そしてまた言葉も変わる。カーニバル中は毎日のように使っていたイタリア語の「ボンジョルノ」やありがとうの「グラッチェ」がつい口をついて出てきてしまう。

 国境を越えた時点で言葉が変わるは頭で分かっていても反射的にグラッチェが出るので、その度に「こっちではありがとうは「ファラー」だった」と慌てて言いなおした。

 自転車ではゆっくりと国境に近づき超えるのでその変化も穏やかだが、バスや鉄道で移動すると、その降車口を降りると辺りのあまりの変化に驚く。以前、南米からアジアに飛行機で来た旅行者が

「飛行機を使うと自分の体に魂が追いついて来ない」

と言っていたがその感覚が少し分かった。すべてが劇的に変化するので体はここにいるものの、頭がついて来ないといったところだろう。

ベネチアから戻ってきて早速クロアチアの路上に立った。

国が変わると人々の反応も明らかに変わる。全く同じ芸をしてもイタリア人に比べてクロアチア人は反応が薄い。

イタリア人は必ず突っ込みを入れてくる人が2,3人はいるのだが、クロアチア人は静かに見守っている。また向こうでは笑いが起こらなかったところでこちらでは笑いが起こる。

 こういうのを国民性の違いと言うのだろう。前々から思っていたが芸を通じて見る国民性の違いはなかなか面白い。

【写真】同じ芸でも国によって反応が異なる。
【写真】同じ芸でも国によって反応が異なる。

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