15 イタリア回遊編

春の雨

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今日も曇天で雨が降ったり止んだりだ。

春先の暗い空の下、生暖かい風を頬に受けるとあの時の記憶が蘇る。忘れもしないあれは今から丁度今から10年前、チベット高原でのことだ。

私はきつい上り坂と薄い空気で死にそうになりながら4000mを超える峠に向かっていた。森林の限界はとっくに超えて当たりは地肌が露出した岩と土の世界、遥か向こうには雪に覆われた山が見える。足元にも日の当たらないところには時々残雪がある。

当然人が住んでいるような家はなく、視界の中で動くものは何もない。聞こえるのは風が自転車のシートをバタつかせる音と自分の荒い呼気、そして足音。

この世界にはどんな場所にも人が住み着いて、人を見ない場所なんて無いのかと思ったがそんなものはチベットに入ってからあっという間に覆された。ここに入ってからは人間の方が少数派だ、大部分は自然という人以外のものが占領している。

【写真】標高4000m台は植物の姿はない。

【写真】標高4000m台は植物の姿はない。

「一体、何だってこんな所を自転車を押しているんだ」と自分に問いかける。この手の質問は数え切れない程自分にしてきた。答えはいつも違う。飛行機で向かえばよい、バスで向かえばよい、そうすれば何の苦労もなく、座席に座ってさえいえれば目的地に着く。

「しかし、それじゃ駄目だ」と頭の中に声が響く。つらい道を行くから、地べたを這って進むからそこに辿り着けた時のあふれ出す感情があるのじゃなないか。

「くだらない」もう一人の自分が口を挟む。そんな感動が何の役に立つ。飛行機で行こうが、歩いて行こうが着いたところから見える景色は一緒なのだ。実にくだらない。この質問の答えは何だ。ばかげている。

「くだらない」という自分がいるくせに現状は何だ。今にも壊れそうな自転車を押して、昨日から終わりの見えない坂道を押し上がっている。「この先には何があるのか?」また別の質問か。自分と自問自答していると峠の終わり示す色とりどりのタルチョ(旗)が見えた。

「ふう、やっとか、来れたじゃないか、どんなもんだい」と誰もいないのに言葉がこぼれる。

下り坂になった。登った道が長ければ長いほど下り坂も長くなる。4000mから標高が下がると反比例して気温は上がる。顔をこわばらせるほど冷たい風が2000m代まで来ると春風の様に穏やかになった。

もう4月も終わりだ、もっと海に近い地上ならとっくに春だ。

頭の周りを小さい虫が飛び回り、鳥の姿が目に入る、緑の葉が広がる木が茂ってきた。そして雨がシトシトと降り始めた。地の果て様な荒廃した地から来たら、雨がともて優しく感じた。「すぐに雨合羽を着なきゃ」とならない、少し雨に打たれていたいと思った。

雨は優しく木の葉、乾いた大地に降り注ぎ、そこに息づくものをやさしく包み込むように穏やかだった。木々は雨に打たれ、一層艶やかに緑を輝かせる。雨を喜んでいるのか鳥の泣き声が響く。

「春雨とはなかなか良いものだ」とゆっくり雨に打たれながらペダルを漕いだ。

と10年前の思い出に浸っていたら雨足が強くなってきた、風邪を引く前に戻るとするか。

【写真】標高2000m台に降りてくると緑が生い茂る。

【写真】標高2000m台に降りてくると緑が生い茂る。


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