ご縁とつながりのその後 メンバー今昔 2026年5周年記念に向けて

  • 2025年12月16日
  • 2025年12月16日
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 「こんにちは、こんばんは、おはようございます」

 コロナ禍に出会った私たち。

 クラハで、Japacityのリビングルームに入ると、時差を超えたこんな挨拶をみんな自然に交わしていました。

 

2021年2月

 皆さん覚えていますか? Yurimaruさんが、同志ゼロで一人でむちゃぶり始めちゃった24時間部屋に、だれがなんのウィルスをまいたのか知らないけど、世界中にJapacity Virus感染者が出現しちゃった創世記

 北海道から沖縄まで、北米、南米、ヨーロッパ、オセアニア、アジア各国。。。。

 本当に何か国から「日本語話者」がどれだけ集まったのでしょう

 

皆さん覚えていますか?

 

ステイホーム、ソーシャルディスタンス、町の変容、暮らしの形や仕事のあれこれの変化を余儀なくされたたくさんのメンバーさん

 それでも、ルームに集うと、本当に家族や親族のように、いやそんな関係さえも超えて、いろいろな話をしていましたね。

 毎日、毎日、24時間部屋には必ず誰かのぬくもりがありました

 

最初の6カ月はメンバーの有志(今思えばJapacity の推し活を自然にしちゃってた面々)が自発的にルームのモデレーター(クラハのシステム内のステイタスとしてのリーダー)を買って出て、モデレーターマークをやりとりしたり、会話の調整役とか、合いの手役とか、なんとなく自然にそして居心地の良い空間を静かに下支えしてくれていたこと

 ルーム運営の事などを考えたり、心配したりするコアメンバーでライングループを作ったりして、細かい話し合いなんかもしたりしていた時期もありました

 日本在住メンバーさんだけが参加できるラインのオープンチャットもあったし、海外在住メンバーさんともつながれる「グリーンピース」の名のもとのライングループは今でも動いています

 リモートワークをしながら、ごはんを作りながら、食べながら、運転しながら、電車で移動しながら、外でお散歩しながら、買い物しながら、起き抜けやベッドタイムで布団をかぶりながら、それでも耳と心がJapacityのリビングルームにつながっていて、みんなの心の第三の場所にいつの間にかなっていった

 そのデジタル空間から、「行ってきます」そして「おかえり」っていう聞きなれた声の仲間に送り出してもらったり、迎えてもらったり。

 

全くそれまでには体験したことのなかった、「新しい人との出会い」「日頃にはなじみのない新しい話題」「初めて聞く、自分とは違う環境や背景で暮らす人のいろんなストーリー」

 もう話を聞くのも合いの手いれるのも、面白すぎて、みかさんが作った「あけて」っていう歌の歌詞通り、寝る間も、お風呂に入る間も下手したら削って(お風呂で寝て聞いてたっていう人も)、Japacity の中毒状態だったコト、そんな時期を思い出す方も多いはず

 

何だったんでしょう、あの強烈なつながっている感覚。つながっていたい感覚

 

間違いなく、私たちが自然にコミュニティになっていて、そこに得も言われぬ魅力が漂っていました。

 

私たちが出会ってから2026年2月には5年を超え、6年目になるわけです。

あの時の小学校の一年生が6年生になっちゃいます。

 時が流れて去っていく

これは絶対的に止められない事の一つ

 それぞれが、それぞれのさらに深く個性的な5年を、その人生のストーリーを積み重ねてきているはずです。

 

思えばあの創世記に毎日ルームにいたKeiichiさんはコロナ禍の足止めから解放された後、世界を人力でどんどんめぐりながらBritish Got TalentでGolden Buzzerまでいただいて、今も中米でいろんな地域の人の笑顔をマジックを通して集めておられ、まさにリスペクト無限大としか表現できない人生のストーリーをますます構築中

 そんなKeiichiさんのご厚意でJapacityのBlogは始まりました。

 

覚えていますか?

 ブログ部っていう活動を始めて、(Meikoの思い付きでした)かつえさんや、こうじさんが協力してくれて、メンバーのインタビュ―から少しづつ記事を書き溜めていった時間

 

外商?セールス?で他のルームに出かけまくっていたYurimaruさんの無茶ぶりの一言でなぜかMeikoが市長になったこと

 あっという間にJapacity のFB Twitter  Instagram  YouTube なんかも率先してサクッと作ってくれちゃった頼もしい仲間が登場

 ぶっちゃけ、YuriさんはIT、SNSのシステム方面は弱いのですが、そこらへんが長けまくっている強力な仲間の自発的行動力には、一切文句を言わない、「皆さんの好きなようにどんどんやって」っていう太っ腹な立場におられた、、のも功を奏したのかもしれません

 

2021年は大きなルームとのコラボイベントもいくつもしました。(打合せや仕込みも最低限で完全ボランティアで良くあんなにこなしたものです)

 クラハリンピックから、Welcome Paulイベント、ゴールデンウィークのイベントから、6月のAndroidさんのWelcomeイベント

 ゴールデンウィークのJapan Clubさんとの合同イベント部屋は3日間で200を超えるルームが参加し、合計6000人を超える参加数をたたきだしました

 なんとポールの奥さんのアマンダさんがアメリカサイドでその数をまとめて報告してくれたという逸話つき

 汪さんが音響担当でたくさんの部屋の運営の裏で助けてくれました

 なんてこともありました

 

ルーム内で起こった逸話話は数限りなく、書ききれませんが、日本が台湾にワクチンを送ったお礼だと、大勢の台湾の方がルームにお礼に詰めかけた逸話とか、何語かわからないアラブ系?の人たちが荒らしでどんどん入って来ちゃって、じゅんちゃんが『荒城の月』を歌ったら、追っ払えた???っていう逸話とか、

 なんとなく、意見が対立したり、ちゃんと聞いていなかった事で、誤解がお互いに生じたり、人間生ものだし、人間関係はそれぞれの間に細かく生まれる「化学反応」な部分もあるから、相性のいい人、悪い(心地よくない)人問題などもあったと思います

 ルーム内で話された、数々の興味深いトピックの一つ一つや、出来事の全てを、この文章を今、思い出しつつ書いているMeikoが知っているわけではありません

 皆さんには皆さんの数だけ、Japacityのリビングルームの思い出があるはずなんです。

 

そしてコロナ禍という言葉も過去のものになり、

 それでも私たちは繋がれる人とはまだつながれている

 私の人生も、大げさかもしれませんが、紆余曲折と激動の日々だったような気もします。

いや、同時にシンプルで恵まれていた時間も多かった?ともいえるかもしれません。

 懐かしい仲間の皆さんにとってのこの5年どんな時間だったのでしょう?

 

そんな今昔話、集められたらいいなぁと思いながらJapacityのブログを静かに再開しようと試みています。

 

令和7年2025年12月16日

 

さて、ここから、どこに行くのか? このブログLOL

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