再びの中国

国境までの舗装の状態を心配していたが、20km位手前から良く舗装されていた。

舗装道路のおかげで日が暮れる前にはボーテンと呼ばれる国境の町に到着。

ラオス最後の街ボーテンに到着
【写真】ラオス最後の街ボーテンに到着

道の先には踏切みたいなポールが降りている。「これより進むな」と言うことだろう。

今日のイミグレーションの営業は終わりらしく、ガランとして職員はもちろん、旅行者の姿も全く見なかった。

このボーテンの村人の姿さえもあまり見ず、最果ての寂しい感じのする町だった。

最果ての街ボーテン
【写真】最果ての街ボーテン

目を付けておいた、荷物置き場の様な所に行き、テントを組み立てた。大きな天井もあり、誰も来ない所で、静かで寝心地が良さそうだった。

屋根付きでよい場所が見つかった
【写真】屋根付きでよい場所が見つかった

翌朝、快眠ですっきり目が覚めた。ゲートの前に行き、すぐ側のお店でラオス最期のウドン5000kip(60円)を食べた。

店から出ると、バックパックを背負った旅行者がいた、彼はイギリス人でキャッシュと言い、これから私と同じ中国に入るつもりだと言った。

 昨日の夕方には降りていた踏切の遮断機が開いていて、そこを通り過ぎると左手すぐにラオスのイミグレーションセンターがある。受付のおじさんにパスポートを渡す、問題もなく出国のスタンプを押してくれた。

そして奧に続く一本道を進んで行く、結構な距離だ。自転車でない人はここでバイクタクシーなどに乗りこの道を進んで行くようだ。

 1kmくらい進んだ所に、大きな石碑が道脇に置かれている、こちら側はラオス語で何か書いてあり、通り過ぎて振り返ると、中国側は中国語で何か書いてある。

国境にあった石碑
【写真】国境にあった石碑

ここが国境だ。道を進むと、早速、懐かしの中国語だけの看板が現れる、そこからやっぱり1kmくらい進んだ所にラオス側といい勝負の踏切の様なゲートがあった。

入国審査が問題なく終わり、中国側の町モーハンに出た、再訪れた中国の第一印象は「活気がある」だった。

ラオスのひっそりとしてた村に比べ、一転して人の往来が多く、勢いのある声が方々から聞こえて来る、人に町に活気がある様に見えた。

「ああ、中国に戻って来た」
と感じた。

「あまり戻りたくない国」と思っていたが、その気持ちも何処かに吹っ飛んで、「おおっ、中国良いな!」と町を歩き始めそう思うのであった。

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