通りがかりの街角で手品をし、その町を抜けようとしたところで一人の男に呼び止められた。
その男性の周りには他に数人の人がいたので「怪しい」という感じはない。自転車を止めて近づくとその人は英語で話しかけてきた。
「君も自転車で旅行しているのか?、私もだったんだ」
と彼は言う。彼は自分を「ロック」だと名のった。彼の話に耳を傾ける。
一月前彼は自転車でネパールを出発したらしいが、インドで全ての荷物を盗まれ戻って来たというのだ。
そういう訳で、彼は荷物を沢山積んだ自転車でうろついていた私に声をかけたのだ自転車旅行者だと思って。
彼は私に向かって
「何か必要なモノはないか?」
と聞いてくる、きっと自分が旅行していた時にそういう言葉をかけてもらったのか、かけられたいと願っていたのか?それは分からないが彼はそう話しかけてきた。正直言って今のままで十分だったので
「いえ、特に・・」
と答える。すると
「腹は減っていないか?」
と彼は続ける。そう言われるとお昼時である、減っていたので正直に
「お腹は空いています」
と答えると
「ネパール料理でよければ食べていきなよ」
とロックさん。ネパール料理とは言わずとも「ダルバート」のことである。
ロックさんに付いて行き家を尋ねる。
ロックさんは学校の一室を借りていて、驚いたことに奥さん、子供と暮らしていた。
私は自転車で長期旅行をしていたというのでてっきり独身かと思っていたのだ。
そしてロックさんの部屋で彼が旅行に出る時の旅行計画書の様なモノなどを見せてもらった。
彼の旅行はとても計画されていて、何より「スローガン」なるものが存在していたのには驚いた。
彼は「ネパールの平和と国際協力を得ること」をスローガンとして掲げており、彼の着ているティシャツなどに「そのスローガン」がプリントされていた。
そして旅の資金は寄付でまかなうために「寄付受け取り帳簿」の様なノートを持っていた。つまり彼はネパールという国のためにスローガンを掲げ、寄付をしてもらいながら進んで行ったというのだ。
それを聞いて彼の「志」の高さを感じた、それに比べ、私にはスローガンなんてカッコイイモノはない、「志」はなんだ?実際そう思った。そして彼は私に聞いてくる
「君のスローガン、ポリシーは??」
私は答える
「ただの挑戦です。できるか?それともできないのか?それを知るために進んでいます」
彼のは国の為の志だが、私のはかなり個人的である。
でもそれでいいのだと私は思う、開き直りでなく、私は「国の為に」などという気持ちは起きない。
それは日本が恵まれている環境だからかもしれないし、私がそう考えるに達しない人間だからかもしれない。
とにかくカッコつけでも何でもいいからと言われても「国のために」というのは出てこない、だからと言ってそれが「志」としていけないモノだともいうこともない。個人の自由だ。
ロックさんは「国のために」を掲げて走る、私は自分の挑戦のために進む、それだけじゃないのか、とそう思う。
彼も別に「そりゃよくないぜあんた(とはいいにくいかもしれないけれど)」そんなことは一言も言わず、「そうか」と頷きながら聞いてくれた。
そんな話をしている間に彼の奥さんがダルバートを運んできてくれる。お腹一杯に食べさせて頂きエネルギー満タン。
さらに彼の住んでいる学校、日本では小学校だろうか、で自己紹介なるものをして、さらに、一人一人が摘んでくれた花を一人一人順に手渡してくれる。
こんな歓迎は初めてだったので感動と言うよりは驚き、嬉しかった。ロックさんが
「今日は泊まっていきなさい」
と言ってくれたが先に進むみたい気持ちが強かったので
「進みます」
と告げる。ロックさんが道路まで見送に来てくれ、お礼を言い、ペダルをこぎ始めた。
旅行が始まってから何度も自問自答している「この旅行はなんなのか?」
国の為でもない、平和の為でもない、周りは関係ない挑戦なのだ。
できるか、できないかの。
しいて言うなら自分の中の戦いに勝つためだ。そんなのはくだらない勝ったところでどうなるのだと。どうにもならない。
言い換えれば自己満足。
自己肯定のために進んでる、くだらないことのために全力を尽くしてる。
でもそれでいんじゃないか。人間の多くはその為に生きているんじゃないか。自分のすべてをぶつけられるものにすべてを突っ込んで挑戦している。
行け、道が見えてる限り前へ、前へ、がむしゃらに。
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