イタリア北東部にある都市トリエステに到着。
この街からスロベニア国境までは直線距離にして20kmもない。街に着いての印象は街の構造、建物の建築様式が今までのイタリアの街と少し違うこと、そして何と言ってもこの街は坂が多いということだろうか。
トリエステに入ってから道幅がイタリアの都市らしくなく広い。
大抵イタリアの街と言えば広場を中心にし細路地が迷路の様に広がっていくことが多いのだが、トリエステは一番大きいイタリア広場が海岸沿いの大通りに面しているのでずいぶんとスッキリと開放的な印象を受ける。道が広がると建物と建物の距離も離れることになるので、さらにスッキリと見える。
運河に面した教会はイタリアで見かけるタイプの教会ではなく、聞くとセビリア正教の教会。旧ユーゴの影響がここまで来ているのだ。そして街を歩くと分かるのだが「きちっ、きちっ」と道が直角に交わっている、イタリアには珍しい碁盤の目の構造。
ネットで少し調べると、トリエステの歴史は複雑で1970年代のハプスブルグ家に支配の影響が大きいと書いてある。ナルホドそれで街の趣がオーストリアっぽいのだ。
また海に面した街の背後にはすぐそこまで山が迫っていて、その山の中腹にまで密集した茶色い屋根の家々が並ぶ。「これに似た風景を見たことがあるな」と通過して来た海際の街を思い返してみる。
すぐに分かった、そうだ、ポルトガルの首都リスボンにどことなく似ている。
街を自転車で移動し始めると、とにかく坂が多いことを実感する。海に面した中心深部はほぼ平らであるが、海岸線から離れれば離れるほど上り坂が急になっている。自転車での移動はどちらか行きは下りだが、帰りは上りになる。
その上り坂も普通の上り坂ではない、急勾配なのだ。
荷物がない自転車ですら乗ったまま上りきれないほど急である。車道がなければ階段にしてもよいくらいだ。実際車が入らない細い道は階段になっているところがある。
こういった坂の町では自転車は不便、大変というのを住民達が知っているので自転車に乗っている人は殆ど見かけない。
リスボンでは2,3日に一度自転車に乗った人を見かける程度だったが、トリエステもそれに近いものがある。人口20万人のトリエステでママチャリに乗っているアジア人を見たら「私です!」と言えるほど少ない。(冗談なので本当に声を掛けないように、実際には中国人が結構います。)