2015年3月13日 イタリア ローマ
長期の旅行をするにあって「これは大事じゃないかな~」ということがいくつかあるわけです、その中のひとつが「何でも食べられる」ってことじゃないかと思います。
なぜなら旅行を続けると国や地域が変わってくる。それから文化が変わって、それに伴い食べ物も変わってくる。あれが食べられない、これが食べられないとなると食べ物が制限されることになる。カレーが嫌いだとインドで食べるものがないとか。
というのは冗談で、好き嫌いがあっても、菜食主義者でも全く問題なく旅行はできます。ただ端から見ているとなかなか大変そうな場面に遭遇したことはあります。例えば招待された家で出された食事に嫌いなものが沢山含まれているとか。
ところで何が言いたかったかというと、自分でいうのもなんですが、好き嫌いが全くないのです、今のところ。とそんなことが言いたかったかったわけではなく、逆で何でも美味しく食べられる。加えて結構何でも「おいしい、おいしい」と言って食べます。
これは捉えかたによりますが、相当な外れでない限り殆どのものは美味しいと思うわけです。やたらに味覚のストライクゾーンが広い。そして裏を返すと、本当に美味しいものが分からないともとれる。
例えば100円の生ハムを食べても、その100倍高い10000円の生ハムを食べてもどちらも「美味しいですねぇ」と言ってしまうこともありえるわけです。ワインもしかりです。
前置きはこれくらいにして。
さて現在滞在しているローマにはカフェが沢山あります。バーと呼ばれるカフェが街中のいたるところにあります。そして立ち飲みならカプチーノが1ユーロから1.2ユーロとかなり安く飲めます。
私にとってどれも美味しいわけです。
そしてやっと本題なのですが
そんななんでも美味しい私なのですが、なぜか特に美味しいと思わせるカフェがあるのです。えっ、なんで。ここのカプチーノは美味いのか。
そのカフェは路上芸をして休憩するのに丁度よいところにあって、コロッセオ近く観光地のど真ん中にかかわらず、カプチーノが1.2ユーロで飲めるのも魅力的。
そのため、路上で一息入れたい時や雨が降ってきたりすると90%以上の割合でそのカフェに足を運びます。
頻繁に通っていたので、カフェを作っているバリスタ?の彼とはスッカリ顔見知りになっていた。彼の名前はパウロさん。毎度飲むカフェが美味しいと前々から思っていたので今回は思い切って
「パウロさんの入れるカフェは美味しいですね」
と伝えてみた。するとパウロさんは
「おっ、気がつきましたか?」
といわんばかり。
「実は・・・」と嬉しそうに解説を始める。
熱ぽく語るパウロさんの解説にフンフンと相槌を打ちながら耳を傾ける私。
要約すると「細かいところにこだわる」そしてそれの「積み重ね」ということだった。例えばコーヒーをドリップする時に粉が均等になるようにだとか、お湯は少し出して置いて温度が均一になったところを注ぐとか、カプチーノの牛乳の泡立ては温度が難しいとか。
そしてパウロさんはこのバリスタ25年のベテランだそうだ。
フーム、細かい気遣いの結晶がこの美味しいコーヒーになっているというわけである。一つ一つは些細なことでも積み重ねれば差が出るということか。うーん。それにしても美味しい。
