2021年が明け、無帰国19年目となりました。
だから何?
という感想ですが、自己満足の極みということで。
無帰国ってなに?
文字通り母国に戻っていないということです。私の場合は日本で生まれ日本で育った日本人ですので、19年間日本に戻っていないということになります。
2002年3月24日に下関から釜山行きのフェリーで日本を発ってから日本に戻っていません。

「無」が付くとすごいこともある
ちなみに「無」がつくと、おおっ~となることもあります。
よく言われるのがエベレスト登山での「無」酸素。
これはどういう意味かというと近年のエベレスト登山では標高7000m付近から背中に酸素ボンベを背負い、酸素を吸引しながら登山をするのが一般的になってきています。
なぜなら標高7000mという富士山の2倍近い標高になると酸素が薄くなるため、いつものように行動できなくなります。
そこで酸素を吸引するとことにより、地上に近い行動ができるようになり、エベレストを登頂確率が上がるというわけです。
ところが、この酸素を使わない「無」酸素の挑戦となると途端にエベレスト登頂が難易度が高いものになります。
どのくらい難しくなるかというと、2018年の時点で日本人のエベレスト登頂者はのべ240人ほどですが、このうち無酸素登頂しているのは6人だけです。

無酸素登頂に挑戦することは誰でも可能ですが、実際に登頂できるのはほんのわずか。数年前も日本人が無酸素で登頂を目指していますが残念ながら成功していません。
というわけで無酸素で登頂するとそれだけ難易度が高く、偉業となるわけです。
ちなみに私も10数年前にエベレストに登頂したのですが、標高7000mを超え酸素ボンベをしていないと、酸素が薄いのでどんな行動でもイチイチ息が切れます。
よい例が、登山靴の靴紐を縛るのに息が切れたり、寝袋に入るのにハァハァと息が切れたりします。こういった日常生活では何気ない動作の瞬間ですが、人間息を止めてる瞬間なのです。
これほど簡単な動作で息が切れる空気の中で、なおかつ登山をするというのが無酸素登山です。
それゆえ「無」酸素登頂は評価されます。
冒険系では他に「無」補給や「無」寄港などの言葉がありますが、それぞれ難易度が高くなるということが分かります。
もう一つ身近な例で、50メートルを泳ぐのにもちろん息継ぎをしながら泳ぎます、ところがこの息継ぎをしない、潜水という方法で50mを泳いだらやはりそれは大変なことが分かります。息継ぎ無しは難易度があがります。
50mを潜水で泳いだらそれは水泳したことがある皆が驚くわけです。
簡単にまとめると要するに
ポイント
・「無」がついたその行動の価値、難易度を分かる人がいる
ということです。
そこで再び最初に戻り「無」帰国を検証してみるわけです。
「無」帰国は難易度が意味不明、誰もその難易度が分からないというか、どこに難しさがあるか不明なため完全に自己満足となります。

全くオチもなし、話もまとまらないのですが今回はこのへんで。
<関連リンク>
2022年は無帰国20周年となりました
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