2025年10月14日現在、パナマ共和国の首都パナマに滞在しつつ、日記を更新しています。日記と現在との差が開いたためにその差を埋めるべく更新しています。現在その差およそ8カ月となっております。
前回はボリビアに入国し、最大の都市サンタクルスに到着したところからです。
今回はタイトルにもありますが、ボリビアにも実は日本からの移住者が多いというお話です。
サンタ・クルス
サンタクルスはボリビアの平野部にある人口180万人を有する最大の都市。サンタクルスに近づくと今まで通過してきた町とは比べ物にならない大きさです。大きい都市なのでいくつも信号を通過して渋滞にもまれて、やっとこ宿に到着です。
サンタクルスはボリビアの低地部分にあるので気温も高めです。日差しが強い。
サンタクルスに到着する前にサンタクルスの方にマジックショーのお話をいただいていたのでいくつかサンタクルスでマジックショーをさせていただきました。

ひとつはサンタクルス在住の方々の日系の婦人会、なんとこのサンタクスルにも日系のコミュニティーがあり驚きました。
またそれどころか、サンタクスルには日本人のための日本人学校があったのです。ここでもパフォーマンスをさせていただく機会がありました。

それから日系の生徒さんが沢山いるのでまたまた驚きました。

聞くとボリビアにも多くの日本人が移住して、それぞれの2世や3世が今もなおボリビアで生活しているとのこと。ボリビアというといつもウユニ塩湖が話題になるので日本人の移住者がいるとは全く知りませんでした。日系移住者といえばブラジルやペルーを思い浮かべるのですが、ここボリビア、そして通過してきたパラグアイにもしっかりとした移住区があったりして南米には日本人が過去に多く移住したのだということを目の当たりにしました。
レストランでもパフォーマンス
サンタクスルでは日系のつながりで色々なところでパフォーマンスをさせていただきました。日系の方が営業されているレストランもその一つです。

特に思い出に残っているのが、サンタクスル、そしてボリビアのラパス市にあるレストラン「けんちゃん」この主人けんさんを紹介してもらい、けんちゃんでお会いできることに。なおかつ、この店内でパフォーマンスをさせていただけるというお話になりありがたい限りです。
この経営者でけんさんももとバイクで世界を回っていた旅行者でボリビアで紆余曲折あり、ボリビアに定住することになったとのこと。奥様が料理上手で路上の屋台から始められて、現在ではサンタクスルに2件、ラパスに1件のレストランを経営されているという。
バックパッカーなどの旅行者の間ではボリビアでは本格的な日本食が食べられると、風の噂に聞いていたけんちゃん。食事をごちそうになりましたがさすが、日本人の方が経営されているレストラン、日本の味です。
ボリビアにも日本人移住区が
サンタクルスの日系の方にお話を聞くと、このボリビアには2つの日本人移住区があるとのこと。一つは「オキナワ」と呼ばれる移住区でこのサンタクスルから北に80㎞ほどのところにあるとのこと、そしてもう一つは「サン・フアン」と呼ばれる移住区で「オキナワ」から東に120㎞ほどいったところにある移住区。どちらもこれから向かう方向なので立ち寄ってみることに。
日本人移住区オキナワ
サンタクスルを朝出発して夕方にはオキナワ移住区に到着。バスで行くと、乗り換えが必要らしいのですが、自転車なのでひたすら一本道を漕いでいけば「オキナワ移住区」に到着。移住区に到着する前にゲートに「めんそーれ オキナワへ」という日本語が目に入ります。

オキナワ移住区は現地ではコロニア・オキナワと呼ばれており、1954年から入植が始まったそうです。そしてその名の通りオキナワからの移住者がほとんど、去年2024年には70周年を迎えたそうです。
オキナワ移住区は3地区に分かれており、かなり広範囲に広がっています。自転車で到着したところがオキナワ1、南に進んだところがオキナワ2、そしてさらに進んだ地区がオキナワ3と呼ばれる地域だそうです。現地の日系の方がアレンジしてくれてオキナワ2の学校、オキナワ3の公民館でもマジックショーをさせてもらえました。オキナワ3地区はオキナワ1からかなり奥に進んで、未舗装の道の先にあるのですが、そこにもやはり日本移住者が住んでいて驚きました。

オキナワ移住区にはこの移住区の歴史資料がありました。日本人移住者がこの地にやってきた時、ここは木々が生い茂るジャングルだったそうです、それを皆が力を合わせて開墾していったそうです。

ブラジルでもそうでしたが、日本人移住者達の苦労は並みならぬものがあったと思いますが、現在でもこうしてシッカリ現地に根付いて暮らしている姿を見ると何か感動します。
サンファン移住区
オキナワ移住区でも日系の方に大変にお世話になり、次は自転車を東に走らせてもう一つの移住区サンファンに向かいました。ちょうどこれから向かう方向にあったので少しだけ寄り道という感じです。
オキナワ移住区同様にサンファン移住区も町の入口に大きな日本語のゲートがありました。

サンファンでは日系の方の家に泊めていただき、学校や公民館でやはりパフォーマンスをさせていただきました。

サンファンはゲートにも書いてあるようにお米どころとしてボリビア国内では有名で、スーパーなどで買うお米は産地がサンファンになっています。こちらももともとはジャングルだったところを移住した日本人が開拓していたったとのことでした。
どちらも移住区も当時の入植した日本人が切り開いていった土地だそうですが、本当に凄いことだと思います。
今回はここまでです。
ここまで連日日記を書いてきたのですが、再びパナマからコスタリカへ移動するために次回の更新はまた少し時間があきます。
<関連リンク>
ボリビア入国
ボリビアに入って驚いたこと
チャコ地方の恐怖