【エベレスト登山】1996年エベレスト大量遭難事故は何故起きたか。

1996年、ネパール側からのエベレストを目指した登山隊8人が命を落とす惨事が起こった。

それほど技術的に難しくない南東稜ノーマルルート、ガイドが率いる公募隊登山で何故このような事故が起こったのかを考えてみたい。

「1996年のエベレスト大量遭難」については日本語のウィキペディアがあるので詳細を知りたい人はこちらを参照。

【写真】1996年エベレスト史上最悪の遭難はどうして起こったのか?
【写真】1996年エベレスト史上最悪の遭難はどうして起こったのか?

事故概要

1996年、ロブ・ホール率いるアドベンチャーコンサルタンツ隊、スコットフィッシャー率いるマウンテンマッドネス隊がそれぞれエベレストの山頂を目指していた。

どちらも隊も「公募隊」と呼ばれるエベレストに登りたい個人が出資し、顧客としてガイドと登る隊であった。

二つの隊は順調に高度順化を行い、最終キャンプおよそ標高8000mまで辿り着く。

一行は深夜12時最終キャンプを山頂に向けて発った。

翌日の午後の2時までの登頂を最終ラインとしていたが、結果からすると間に合わないメンバーがいた。

山頂に到達できなくても、午後2時になったら下山するべきだったが、メンバーの何人かは山頂を目指す。ガイドも彼らを抑止せずに山頂に向かった。

予定の時間を大幅に過ぎてしまったが、隊員は登頂し下山を開始。

午後に5時頃から天候が荒れはじめた。登頂が遅くなったメンバーはこの吹雪に巻き込まれることに。

何とか最終キャンプまで戻れた者もいたが、ガイドを含め8人が帰らぬ人となった。

とこれが事故の概要である。かなり細部を省いているので詳細が気になる人は→(ウィキペディア「1996年のエベレスト大量遭難」をご覧ください)

どうして起こったのか?

以前の記事【エベレスト登山】商業登山・公募隊に潜む危険性。で指摘しているが、これらの要因が重なり大惨事になったのではないだろうか。

・登山未熟者の参加、登山技術が一定でなかった。もちろん体力もバラバラ

山頂アタックでは最終キャンプを深夜に出発し、午前中に登頂、午後明るい間にキャンプ4に戻ってくるのが理想。

しかしこの事故の記事を読むと、最終組みが山頂に到着したのは、なんと午後の3時過ぎである。

遅いのはもちろんであるが、前日の12時から活動していたとして、山頂までに15時間費やしたことになる。山は登るだけではない、下山の体力を考えねばならない。

登るのに15時間、下りがいくら早いといっても10時間前後かかるとすれば、丸1日24時間の行動になる。

地上でも24時間歩き続けるのは大変だ、体力が削られていくデスゾーンで24時間の継続行動は疲労困憊になるだろう。

ガイドが顧客の体力をしっかりと把握して、きっちりと下山の指示を出せばこの事故は防げた可能性もある。

・多額のガイド料を支払っているために、引くに引けなかった。

ロブ・ホール率いる、アドベンチャー・コンサルタントの公募隊への参加料は65000ドル(1996年1ドル106円とすると約690万円)を支払っている。

決して安い金額ではないので参加者はエベレストの頂への執着が強くなる。

山頂が見えていれば、天候が荒れそうであっても「行きたい!」となってしまうはず。

・ガイドも多額のガイド料を支払われているので「できれば登頂させてあげたい」と考える。

特にロブ・ホールの隊には前年度参加し登頂できずに、再チャレンジしたメンバーがいた。そのためロブ・ホールは彼を是非に山頂に連れて行きたかった。

この辺りがガイドの判断を鈍らせてしまったようにも見える。

・ガイドは登頂率が高くなれば、翌年の募集者が多くなる。

公募隊は競争ではないが、同時期に登っていたスコット・フィッシャー率いる隊とを競合状態になっていたのではないか?

どちらの隊がより多くの登頂者を生み出せるか?

当然登頂率の高い公募隊に応募者は集まる。ガイドは一人でも多くの参加者を山頂を踏ませたい。これは公募登山の業ともいえる。

・荒れた天候

体力がなくて遅くなった者がいても、天候が荒れなければ全く事故が起こらなかった可能性もある。

下山組は吹雪に巻き込まれ、ルートを見失ったためにキャンプ4まで200mのところで遭難した。天候が荒れずに、ルートを迷わなければ難なくキャンプ4に辿り着けただろう。



1996年の遭難事故が映画化

1996年のエベレスト遭難事故が1997年「Into Thin Air」邦題「エベレスト 死の彷徨」としてテレビ映画化され公開された。

また2015年にも「EVEREST」邦題「エベレスト」として映画化されている。

まとめ

1996年の大量遭難事故は公募隊に潜む危険性がいくつも重なりあい、追い討ちをかけるように荒天候に見舞われたが故に起こってしまった事故。

近年は公募隊の増加が様々な点で懸念されているが、これらの事故が再び起こらないよう、原因を踏まえ安全な登山を心がけてほしいものである。

1996年の事故の登山隊に所属していたジャーナリスト、ジョン・クロッカワが書いた書籍。
上記のジョン・クロッカワと同様、遭難した隊に所属、自らも危険な状況に陥ったベック・ウェザー氏により執筆された一冊。

<関連リンク>
(外部ウィキペディア)1996年のエベレスト大量遭難
(外部ウィキペディア)ロブ・ホール
【エベレスト登山】商業登山・公募隊に潜む危険性。
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