【日々徒然】英語?グローバル化?いらなくね?

「英語を学べ」とか「グローバル化」という言葉をネット上で見かける。

 果たしてこれからの社会はどうなっていくのか?本当に「英語」や「グローバル化」が必要なのだろうか。

 旅行を続けて発見したのは、どこでもその土地に住んでいる人がいる。という単純なこと。あたりまえ過ぎて誰もそんなことは言わないが「人が住んでいる」というのがキーワード。その土地に根ざした人がいるわけだ。

米を耕す人
当たり前だけど人間は水と食料が必要。そしてそれを作ってくれている人がいる。

 だから世界がどんなに複雑に入り乱れようとも、国が無くなってオープンになって流動的になっても、必ず一箇所に住み続ける人は存在すると思う。

 そういう人が存在しなければ人は生きていけない。

 これも当たり前だけど人間は水を飲み食べていかないと生きてはいけない。英語が話せてもグローバル化しても飲み水がなければ死んでしまう。

 簡単だけどそういうことじゃないかと。

 その地に根を生やし生きていく人がいるからこそ私達は生きていける。

 逆に地に根を生やした人がいなければ生きてはいけない。

 現代の社会は職業の数も増え、複雑に見えるが根底は何千年前から全く変わらない。そしてこれからも変わらないだろう。科学技術が進歩して人間が光合成が出来るようになるか、映画じゃないが半分ロボットにでもならない限り。

 だからここ数十年で英語が喋れないと生き残れないとか、グローバル化が必須ということはないのじゃないのだろうか。

 繰り返しになるが、どの土地にもキチンとその地に根を生やし生きている人たちがいるのだ。その人達がいるから生きていける。

 その地に暮らす人がいれば仕事はある。その仕事に携わる人も必要だ。そのような人達に英語もグローバル化も必要ないものだ。

 逆にどんな人たちが英語が必要なのか?

 それは移動しながら仕事をしようと考えている人。国を超えて仕事をしようとしている人達。こういった人にとっての共通語は英語が強い。

 自分がその地でしっかりと生きていこうとするならば英語もグローバル化も要らない。地を離れて外に出ようとするならば英語を学べばよい。

 最終的に自分がどういう生き方をするかを見極めることが重要になってくる。

 そして生き方によっては英語もグローバル化も全く不必要になる。

タリの実を売る少年たち
どこの土地にもその地で暮らす人がいる。その人達に他の言語は必要ない。

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