【日々徒然】物理的距離と心の距離

 人間が感じる距離には2種類あると思う。

 ひとつは数学的、ある意味絶対的な物理的距離。

 ここから東京まで100kmと言ったら、100年たとうが1000年たとうがその距離は変わらない。単位が変わったとしてもそれは100kmを違う言い方に変えただけで距離は変わらない。

 もうひとつは心の距離。

 それは寄り添う二人の心の距離ではなくて、100kmを短いと思うか、長いと思うかで全く100kmという距離が人によって変わってくるということである。

 この100kmの心の距離に大きく影響を与えるものに移動手段がある。

 100kmを徒歩で向かうなら2,3日は要するだろう。新幹線ならば30分だ。こういった視点から見ると徒歩の人にとっては2,3日の距離であっても新幹線に乗る人ならば30分の距離、もしかして飛行機に乗れば20分くらいかもしれない。

 そうすると同じ100kmであっても、遠く感じる人、近く感じるひとが出てくる。物理的距離のように万人が100kmとするものとは違ってくる。

 こんな例を出して何になるのか?と言いたくなる人がいるだろう、現代人ならば歩いて100kmを進もうとする人はいない。皆車や鉄道を使うに決まっている。そうなのだ現代ならばそうなのだ、だから現代人にとって100kmという距離は大した距離ではなくなっている。

 しかし江戸時代の人にとっては100kmは2,3日かかる距離だった。

自転車で旅行する人々
自転車で旅行する人にとって100kmは一日の距離だ。

 時代の変化というより移動手段の変化により人々の距離感が短くなっている。

 もう少し例を挙げよう。飛行機のない時代ヨーロッパから日本へ向かうにはシルクロードを進むか、海路を使うかしか方法が無かった。

 その人達にとって日本と言う国は遥かかなたの国だ。何年という覚悟をしなければ行って戻ってくることが出来なかったかもしれない。当時は命を奪う疾患や伝染病も多かっただろう。長期の旅行になれば命がけだったはずだ。

 ところが現代は飛行機で10数時間で日本からヨーロッパまでやって来られる。この変化は現代の人にとってヨーロッパはそれほど遠くない距離になったと言っても過言ではない。

 命を懸けていかなければならかった所へ10数時間座っていれば来れてしまうのだ。これは大変な革命である。

 そして更にインターネットが発達した現代では日本にいる人と簡単に会話ができ、ビデオで通話が出来る。こういった道具やインフォメーションも距離を近くする。
 
 少しまとめよう。

 江戸時代東京都大阪といえばかなりの離れた距離だった。しかし現代人にとっては東京、関西は別におそるに足らない距離、九州でさえも少し遠いと思える距離になっている。ヨーロッパも人生をかけていくほどのものでもなくなってきた。

 そしてここからは想像であるが、将来、移動手段は更に進化するだろう。そうしたら今までの距離がまだまだ近くなる。今は遠いなと思っていても更に近くなる可能性がある。
 
 また逆にそういう可能性を見越して考えるならば、物理的距離の変わらない地でも、心の持ちようでは近くなると言ってもよいのだ。

 要は心の距離と言うのは移動手段によりどうにでも変わる。実際は本人の考えようでいかようにも距離は変わるということ。

 つまり地球上のどこにいても、ここを一つの星と考えれば、まぁそんなに遠くでもない気がしてくる。

いずれ「火星が近い」と思える日が来るかもしれない。

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