世界一周と言う言葉を聞いて真っ先の思い浮かぶのがジュール・ヴェルヌ著「80日間世界一周」じゃないだろうか。
小説が書かれた1870年代では夢物語だった世界一周も、2000年代に入ると一般の人でもそれほど難しいものではなくなった。
これは書籍やインターネットによる情報が増えたり、世界一周航空券などが知られるようになったことが大きい。
そもそも「世界一周とは?」を考えるのが今回のテーマ。
「世界」というより「地球一周」
実際は、「世界」というよりも「地球」一周という方が的確ではないだろうか。
物理的に「地球」という惑星を一周すれば「世界一周」になる。これでよいのじゃないかと思う。
つまり日本を出発して香港経由でイギリスに降り立ち、そこからアメリカ大陸に渡って、日本に戻ってくれば「世界一周」となる。
乗り継ぎなどのロスをなくせば恐らく48時間くらいで可能じゃないだろうか。、余裕を見て72時間、3日である。
仮にそれを敢行し「世界一周した」と言っても嘘や偽りはない。これなら連休に一周できてしまう。
「世界」と言う言葉を使うなら
「世界」という言葉を意識するならばもう少し観光名所を周った方がそれなりに聞こえる。
「地球」ということばは惑星という星をイメージさせるが、「世界」はもっと文化や国が含まれるイメージだ。
アジアではアンコールワット、タージマハル、ヨーロッパでピザの斜塔やエッフェル塔、そしてアメリカのグランドキャニオンを訪れたとなれば、さらに世界一周が聞こえよくなる。
これを意識してユネスコに認められている観光名所「世界遺産」を見て回れば、更に世界一周の奥が深まるだろう。
結局のところ
「世界一周」にはスポーツ競技のように明確な定義はない。
ウィキペディアの世界一周をのぞいてみると、あのギネス・レコードで有名なギネス社が世界一周の定義をしているらしいが、それもあくまでも「ギネス社」の定義である。
つまり物理的に地球を一周しても、例え仮に世界をグルッと周っていなくても5大陸を巡ったり、世界の国を数多く巡り、当人が納得して「世界一周した」と言えばそれで「世界一周」になってしまうほど曖昧なものじゃないだろうか。
ハッキリとした定義がない以上、期間は3日でも物理的に「地球一周」すれば、これは間違いなく「世界一周」といえるだろう。
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