【日々徒然】自由に行動すればするほど不自由さを知る

 2001年から2013年までの12年間自分の思うがままに行動をさせてもらった。

 一見何の束縛もなく自由に生きているように見えるが一度たりとも自分事を自由だと思ったことはない。むしろその逆で人間はなんて不自由なのだとの念が強くなった。

 そもそも人間が生きている限り自由ではない。「えっそんな」と思うかもしれない。それはきっと観点の違いからきている。

 まず人は一人で生きていくのは非常に困難であり、無人島にでも住まない限り、必ず他者との関係の中で生きている。「生きている」のは確かに本人だが、実際は一人では何も出来ないなので「生かされている」といってもよい。

 
 昔、テレビの武田鉄也ふんする金パチ先生が「人」とという字を黒板に書いて「人は支えあって生きている」と解説していたが、正にそうだ。

 これは社会に生きる人すべてに当てはまる。嘘だと思うのなら試してみるとよい。自分以外誰もいないところに放りだされたところをイメージするとよく分かる。殆どの人は一人では生き抜けないことに気づくだろう。きっとコップ一杯の水を得るのも大変。

 自然に飛び出すとどれほど自分ひとりの力で生き抜くことが大変かよく分かる。

 そういう視点から見たら社会に生きている人は誰一人自由ではない。社会の中でお互い支えあっている。自由どころか、完全に社会に依存しいる。

 そのような観点からみれば人は自由でない、全く不自由である。

 一方、社会に依存していながらも「自由」であるという考え方もある。

 恐らくこの自由とは仕事からの自由、自分が思うがまま動ける時間的自由なのか。どちらにせよ、その自由という考え方は誰かに依存して上で成り立っている。

 本人は自由を感じていてもそれはあくまでも社会の中でだ。先にも述べたが社会というのは多くの人が役割分担を担って回っている。そこで一人だけ自由だといっても少し滑稽。

 牧場で飼われている馬に似ている。柵に囲まれていて外の世界に出られないのに、そこでエサをもらいながら自由だと言っているように思える。牧場を管理してくれている人や、エサを運んでくれる人のことを考えずに自由。枠の中なのに気がつかずに自由。それは本当の意味での自由なのだろうか。

 私はこの10年以上を色々な社会を点々としてきたが、とてもじゃないが自分は自由であるとは言えない。行く先々の地域の住人達が社会を回してくれているからこそ、旅行ができるのだ。

 そして行き着くところ人間は生きるために酸素も、水も必要である。生きている限りこれらから決して自由になれない。こういう視点からみると人間は生きている限り決して自由にはなれない。生きるとは不自由なものだ。
 

自由そうだが、不自由。
一見自由に走り回っているが実は柵の中かもしれない。
 

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