2020年はエベレスト日本人初登頂から50周年!

近年世界各国から多くの登山者が訪れる世界最高峰のエベレスト。

エベレストが初登頂されたのが1953年のことななのでまだ初登頂から70年弱ということになります。

今回は日本人の初登頂者についてです。

エベレスト日本人の初登頂から50周年
【写真】エベレスト日本人の初登頂から50周年

エベレスト世界初登頂は

日本人の初登頂者の前にエベレストの世界初登頂を少々。

エベレストの世界初登頂は1953年にイギリス隊に所属していたエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイにより達成されました。

エベレストが測量で世界一高い山ということが分かってから多くの国が初登頂を目指しました。

結果、イギリスの第7回目の遠征でエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイが見事登頂を果たしました。

そのストーリーが映画かされたものが「ビヤンド・ザ・エッジ」です。

日本人初登頂は

それでは日本人の初登頂は誰でしょうか。

日本人初登頂は、冒険家としても有名な植村直己氏松浦輝夫氏であり、1970年5月11日のことです。

エベレスト登頂時、植村直己 29歳、松浦輝夫36歳でした。

二人は日本山岳会エベレスト登山隊に所属しており、ネパールの南東陵側からの登頂でした。

ネパールの南東陵側のルートは2020年の現在も最も人気のあるルートで登頂率が高くノーマルルートと呼ばれています。

世界最高峰8848mのエベレスト
【写真】南東陵のサウスコルから見たエベレスト

当時のエベレスト登山

1970年代エベレスト登山は各国が実力者を集めた登山隊を組織してエベレストの山頂を目指していました。

登山隊には多くのメンバーがいますが、隊でルートを工作し、最終的に山頂を目指すアタックチームに選ばれないと山頂に立つことはできませんでした。

日本初登頂を達成した日本山岳会エベレスト登山隊も日本の最古の山岳会で創立は1905年の明治38年とされています。

日本人初登頂のエベレスト登山隊のおよその時系列は以下のようです。

・1970年2月15日 日本出発

・1970年3月23日 ネパール側ベースキャンプ入り

・1970年4月末 サウスコル着(現在のキャンプ4)標高およそ8000m

・1970年5月11日 日本人としてエベレスト初登頂、世界では6番目の登頂となる。

この日程を見ると分かりますが、日本を2月中旬に出発し、登頂が5月11日なのでおよそ3カ月かかっていることになります。

日本からベースキャンプに入るにも1カ月以上。山岳会は高度順応をかねてベースキャンプまで歩いたそうです。

当時はルートを工作してくれる専門のシェルパなどはいないので、自分達の隊でルートを工作し、高所のキャンプを上げていきます。

ネパール側のエベレストベースキャンプ
【写真】ネパール側の現代のエベレストベースキャンプ

そして最終的に選ばれたアタック隊の植村直己と松浦輝夫氏が登頂しました。

初登頂者が二人ということですが、植村直己氏の発言によると先輩である松浦輝夫氏に先を譲ったとあり、松浦輝夫氏の話では肩を組んで同時に登頂したと話したそうです。

順番はともかく、この2名が日本人エベレスト初登頂者として登録されています

日本人初登頂50周年メモリアル登山

2020年は日本人がエベレストに登頂して50年という節目の年であったので、日本人として初めて世界にある8000m峰14座すべてを登頂した竹内洋岳氏がエベレストのメモリアル登山を行う予定でした。

ところが、2020年は新型コロナウィルスが世界的に蔓延し、中国、ネパール政府とも3月にエベレスト登山の中止を決定しました。

これをうけ、残念ながら50周年メモリアル登山は延期となったそうです。

1970年の初登頂に思う

1970年は50周年記念とされることで分かりますが、50年前ということになります。

当時は現在のようにインターネットもなければ、衛星電話もなかった時代です。一度山に入れば日本と連絡する手段はなく、ひたすらに山と向かいあう日々です。

また装備も現在のようなものはなく、シンプルなものだったに違いありません。

こういった環境の中、自らの隊でルートを工作し、高度キャンプを一つ一つ設置していくという作業は非常に困難だったでしょう。

こういった困難を乗り越え山頂に到達した偉大な先人達に敬意を表したいと思います。

今回は以上です。

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