今日、エベレストは大衆化が進み年間数百人がが登頂できる山になった。
このエベレストに初登頂したのは1953年英国隊のエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイと言われている。
しかし実はこの二人の前に登頂した人物がいるのではないか?という話がある。
この話は初登頂から、遡ることおよそ30年、1924年のこと。イギリスは国の威信をかけて世界最高峰の山を征服するために遠征隊を組んだ。
その隊には「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるからさ」の台詞で有名なジョージ・マロリーも参加していた。
遠征隊は1924年、インドのダージリンから一路エベレストを目指し、4月28日にチベット側のベースキャンプに到着。
登山を開始、隊は順調にキャンプを作り高度を上げて、ついに山頂にアタックができる高度に達した。
隊のメンバーは多くても、山頂に立てるチャンスがあるのは数人しかいない。隊全体で荷を揚げ、テントを設営するが、最後のテントから山頂にいけるのは選ばれた者のみ。
そのアタックメンバーに37歳のマロリーと若手アーヴィンが選ばれた。
二人はキャンプを出発し山頂を目指す。
彼らが山頂まで残り250mのセカンドステップと呼ばれる場所に辿り着いたのを隊のメンバーであるオデルが目撃した。
オデルの証言によるとその後彼らの姿は雲に覆われて見えなくなってしまったというのだ。
そしてマロリーとアーヴィンが戻ってくることはなかった。
もし、彼らが山頂を踏んだ後に、遭難したのであれば人類初のエベレスト登頂者は彼らということになり、1953年のヒラリー達は二番目ということになる。
果たしてマロリー達はエベレストの山頂に立ったのか?
これが長い間エベレストの謎であった。マロリーはカメラを持参していたのでもし登頂していれば、そのカメラで撮影をしているはずである。カメラが見つかればその謎が解けるはずだった。
時が流れて1999年、彼らが消息を経ってから75年後、山頂付近の北壁で古い遺体が発見された。遺体に残っていた持ち物を調べると、なんと75年前に消息を絶ったマロリーであることが判明。
荷物の中からカメラが見つかり、中に残っているフィルムを現像すれば彼らが登頂したか否かの謎が解ける。
はずだったのだが、マロリーの遺品からはなぜかカメラは発見されなかった。故に彼らの登頂を証明するもは未だに得られていない。
また遺体の損傷具合などから様々な憶測がなされたが、今なおマロリーがエベレストに登頂したかは不明である。
カメラは一体どこへ消えてしまったのか?
(余談ではあるが、この無くなったカメラがネパールの古物商で発見され物語が始まるのが、夢枕獏氏著の「神々の山嶺(いただき)」)
まとめ
エベレスト最大のミステリーはマロリーの遺体が発見されたことにより明らかにされると思ったが、肝心の謎を解く鍵であるカメラが発見されなかった。
従ってエベレスト最大のミステリーは現在でも解かれていない。果たしてマロリーは世界で最も高い8848mの頂を踏んだのだろうか?
<関連リンク>
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(外部)ジョージ・マロリーWiki
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