山頂は完全に雪で覆われている。
広さにして3畳くらい、そして「タルチョ」と呼ばれるチベット仏教の旗が雪面に刺さり、強風になびいている。
赤、青、黄、緑などの原色で、色はあせていないから今期の登頂者が残していったものだろう。ここに留まってこの素晴らしい景観を眺めていたいとも思うがそうもいかない、立ち止まっているだけでもボンベの酸素を消費しているのだ。仮に酸素が尽きてしまったら、思うように動けなくなりその結果、死に至る可能性もある。写真撮影をしてから、直ぐに下山にとりかかる、山頂に居た時間は15分もないだろう。
下山は登ってきた過程に比べると過酷に感じない。
重力に従って下へ下へと足を出すだけで、高山病を気にすることもなし、酸素ボンベを担ぎ上げねばならないということもない。ただ5,300mのベースキャンプまでは雪斜や氷壁、クレバスがあり気が抜けない、山は下山中の事故も多い。まず目指すのは「サウスコル」と呼ばれる標高8000mの鞍部にあるキャンプ4だ。
登って来た雪道を引き返す、「道」と言っても雪上に残された、数々のアイゼンの踏跡だけである。固定されたザイルに安全帯を通し、足を踏み出す。登るときは上方を見ているのでそれほど高度を感じないのだが、下に向かう時はすぐ側の切れ落ちた斜面が視界に入る。
「ここを落ちたらどうなるのだろうか」そんなことを思いながら、足を滑らせないように、一歩一歩慎重に下る。登頂後は緊張が取れたのか足取りが重い、夜通し登ってきた疲労感も出てきているのだろう。
19996年に起きたエベレスト史上最悪の大量遭難事故も下山時に発生している。ここは世界最高峰の山ベースキャンプに戻るまでは本当に何が起こるか分からない世界だ。