第一回 Japacity 深掘りインタビュー オーストラリアのMamiさんをほりほり♡

Japacity メンバーインタビューも今回で40人目、スペシャルインタビューも含めるともう43人のメンバーにブログインタビューしています。Japacity のリビングルームも3.0となっていますので、メンバーインタビューも気分一新して、今回からは『深掘りインタビュー』。更に深~~くほりほりしていきたいと思います! Meikoの趣味が高じておりますが、一緒にお楽しみいただければ幸いです😅

先日はMamiさんの教育のお部屋でのお話に、とても共感しました。(Replayあるので興味のある方はぜひ!➡️Mamiさん教育部屋話) 今回は、オーストラリアで長年にわたり、まさに『ストリート・スマート』ライフ!を生きてきているMamiさんに迫ってみました。

オーストラリア移住のいきさつ

Meiko
Mamiさんよろしくお願いします。MamiさんとはJapacity創成期から良くルームで一緒になったりおしゃべりしたりが多かったので、今日はこんな風に深堀りインタビューの機会に恵まれて嬉しいし、楽しみにしていました。(実はインタビュー本番に入る前に二人で色々雑談をオフレコでしちゃいました。うふ🥰)
まずはオーストラリアに移住する事になったいきさつをお聞かせ下さい。
Mami

二十歳少し前の事だったと思います。近しい友人の知り合いで大学生だった方がオーストラリアに興味を持っている人で、その人のご縁から「ワーキングホリデーでオーストラリアにいける!」という話をたまたま聞いたんです。

それってなんだか凄いなって感じました。当時は劇団で活動していた時代。私はもともと興味を持ったら行動しないと気が済まないっていう性格で、さらに興味を持ったら徹底的に調べるようなタイプでした。調べ出したらワーキングホリデー制度は始まったばかり、さらに行かれる国はオーストラリアだけ、という事が分かったんです。まさに一択!という時代でした。はじめは半年のビザがおりる、その後延長は現地での申請。と言われ、あれこれと人づてで聞いた話に飛びのっての行動でした。ネットもなく情報もものすごく少なかった時代でした。

まずはアルバイトで旅費をため、残高証明を取り、ワーホリビザを取得して行動へ。

彼(今の夫)が「おれも一緒に行く」と言ってくれて専門学校2年を終えたタイミングで一緒に来たんです。彼は小学校からの同級生という腐れ縁。ずっと一緒に居る人です。

ビザ延長の際には現地の銀行での残高証明が再び必要になると聞いたので、当初は食パンとジャムだけでしのいでいたような貧乏生活を送っていました。お金をコツコツ残すべく暮らしていました。

City をDocklandという港側から眺めた写真

その後、ワーホリ時代に世話になった人のおかげもあり、永住権申請へと動きました。私は、調理師免許を持っていたので、スペシャルカテゴリーのスキルドワーカーというステータスでワーホリから直接永住権申請をしたんです。彼はいったん一人で日本に一時帰国しました。一級建築士を持っていたのだけど、オーストラリアでは役に立たない専門性だった。それで彼も日本で調理師免許を取り直し、オーストラリアに戻ってこようとしたらスタックして。彼女がいるとか言うと違法滞在者になるのでは?と目を付けられるという話もあったので、一旦観光ビザで戻って来た。その後オーストラリアで婚姻届けの手続きを経て後、永住権を二人で取りました。

結婚の後、数年はゴールドコースト、ケアンズ、キャンベラ、、と展開していたレストランで働いたあと、その経験の中で色々勉強できたし実力もつけられたという事で、自分たちでレストランを始めたんです。27歳くらいの時。

メルボルンから少し北に上がった町で、鉄板焼きとステーキ(ショーをするような)を提供するお店を始めたんです。それを27年間、一度場所は移動したけど、家賃でやっていた店からはじめ、後に店舗を買い取って引っ越して展開していました。

25年前、鉄板焼きのお店でコマーシャルをとっている風景

仕入れがお寿司とかよりも楽で、ロスも少なく効率がいい、これならいけると言う思いを持って始めたこの仕事はじきに軌道に乗りました。この店のインカムを軸に好きな事にも展開していきました。犬を飼っていて、低脂肪で良いとされていたカンガルー🦘肉の犬用ジャーキーがあってそれをあげていたのですが、日本でもそれが流行っているらしいと聞き、調べてみたら、羊、牛肉関連のものは検疫が厳しいけど、カンガルーは日本にいない動物だし、病気が見つかったケースがなく、検疫通過が非常に簡単という事が判明。犬用、ペット用のジャーキーは輸出の規制のバーがとても低いことを知ったのです。

それで、知りあいを通じて横浜でのペット関連産業の品評会にそれを出店したら手ごたえがあり、3年間はその輸出もしていました。日本円が高くどんどん受注が入って、良い時代を味わいました。オーストラリアの物を海外輸出することには、オーストラリア政府からの援助金が出たり、日本からも助けがあった事もありラッキーでした。

3年経ったら円が安くなりはじめ、あれよあれよと波が引くように受注が減っていきました。市場は中国にもっていかれちゃったっていう感覚でした。中国産の安い家畜や鳥のスナックにシフトしてしまったんです。気が付くとオーダ―が4分の1に。そこで、引き際を選びました。

また、オーストラリアのローカルアーティストを使ってTシャツを作りお土産屋さんに下ろすのも良いと思い立ち、そんなプロジェクトもしました。メルボルンはベトナム系移民が多く、衣料関連、布づくりなどに携わっている方が多く、その人達とタッグを組んでおみやげ物屋さんに卸していました。流行りすたりが激しい業界でもあり、2年くらいは波に乗りました。それはそれで楽しかったです。

あれこれと忙しく、オーストラリアワインも輸出していました。地元のもの、地産地消を大事にしたいと考えていて、地元に知り合いも多かったので、そういう中からのセレクションを日本に(横浜そごうさん)向けて出していました。

色々細かい注文があって、それに一つ一つ答えるべくオーストラリアでボトルを特注したりするのにとても高くついたり、その他でもコストの問題とかもあったりで、バーが高かったので、そごうとの取引は2年間で終えました。その後はグルメ志向の人に、セレクトワインを個別で送ったりしていました。

商売は為替で上下するので、すごく影響されました。2年、3年、4年とやりたいプロジェクトに取り組んで目標が達成されたら、別の楽しいプロジェクトに着手。お金を稼ぎ、数字が伸びて行く事がとても楽しい時代でした。経費にお金をうまく使って、贅沢をしたりした時期も。色々工夫を凝らして暮らしていました。振り返ったら本当に色々な経験をしました。楽しかったし若かったなって思い出します。

Meiko
確か息子さんがいらっしゃいましたね。
Mami

子供はずっとできず、あきらめかけてた39歳で日本に遊びに行った際、親にも子供は無理かもしれない。という話をしたんです。そんな中だったのに、その後オーストラリアに戻ったら授かっていたんです!40歳が限界と思っていたので、嬉しい事でした。高齢出産で妊娠中毒症やらいろいろありましたが、無事に息子が生まれて今19歳。

息子さん今昔

仕事をしながら子育てしてきたので、あれもこれも親として出来ていない、、、というジレンマのような歯がゆさがあって、ずっと悩んでいたりしました。それでも息子はちゃんと「自分」を持っている一人の人間として育ってくれています。

事業を成し遂げたと感じた後、夫は人生を成し遂げ、燃え尽きたという感じでした。私はまた何か見つければいいと思ったりもしました。最終的には50歳で店を閉める事を決め、従業員のその後のフォローアップやビジネスを売るにあたり2年の年月をかけ、家をはじめ、持っていた建物も会社も全て売り、全てをゼロに戻し、あれこれ引きずらないで未来に行こうっていう舵を切る事に。 不動産は簡単に売れちゃいましたが新しい人生の時間へ突入した感じです。彼は今でもかわらずパートナー。同世代で話す内容も近いし切っても切れない相手です。

ご夫婦、今昔。

俳優されているって!?

Meiko
個人事業主として忙しい経営の日々の後、オーストラリアで現在俳優業をされていますが、心の転機は?
Mami

最初は右も左も分からず。異国で俳優?ってどういう感じなのか分からずでした。

日本では2-3年しか劇団にいませんでしたが、仕組みは知っていました。この国で一から始めるとなると??と思った。その時も興味のある事はとことん調べる!というパワーで進んだ感じです。頭の中では私は新人。だからまずはワークショップへ行く。そこでいろんな人と知り合いになって、現場に慣れなきゃと。まずはいろいろとお金にならない事も含めて、どんどん行動しました。出演料は無くてもショーリールがもらえるような条件のところもあって、それを自分のアピールに使う。とにかくどういうところなのかを一つ一つ経験して味わって、一つ一つ知りつつ進んだんです。

自分の広告になるようなリールができ、自分をどう商品にして売っていくのか?って回りを見渡したら、私よりずっとずっと若い人達ばかり。気持ちややる気がそんな周囲の20代の人と同じように高揚して、楽しくてしょうがなかったんです。

2年くらいは学びの時間。その後エージェントを変え、仕事が少しずつ入ってくるように。

でも実質ちゃんとお金をもらって俳優業を一年半続けたところで、コロナでオーストラリアはロックダウンへ。開店休業状態になったんです。

最近、ワクチン接種者には仕事が戻ってきています。実は先日、ニコール・キッドマン主演の香港で撮影されるネットフリックス・オリジナルドラマのオーディションに受かってたんですが、私は自分の判断でワクチンを打っていなくて参加できなかったんです。

Meiko

それは残念!!でもきっとコロナが本格的に落ち着いたら、再びのチャンスが続くはず!

ところで俳優業の醍醐味は何ですか?

Mami

いろんな人になり切って自分でない人になる、そこは本当に楽しい。それが例えば人に憎まれたり殺されたりする役でも。自分の人生ではない人の生き様の時間を歩める、味わえるのが楽しい。持ち前の研究心と好奇心で、どうしたらこの人は自分をもっと憎むかな?とか、結構深く演じる事を考えます。終わったら素の自分に戻れるという感覚も楽しいです。

日本では舞台をやっていて長い時間稽古をしていると、役が憑依してしまう事があって、公演の後に自分に戻るのに時間がかかるという事がちょくちょくあったのですが、今の役は収録で関わる時間も長時間ではなく、コマとしても短い出番が多いのですが、それでも深く入りこむし、終わるとスッキリ自分に戻る、そんな感覚を毎回楽しんでいます。

いろいろな役のMamiさん!ステキ!

暮らしのハイライトからクラブハウス活動

Meiko
オーストラリアでの暮らしのハイライトを教えて下さい。
Mami

今の暮らしの中で、家族皆で平和にごはんを食べている時。ものすごく安らぐ時間です。みんなでごはんを食べながら、家族で時事問題から政治や経済なんかの話をするのも大好きです。

お友達の牧場♪
Meiko

クラブハウス、ごちゃまぜクラブでの活動はどのように楽しまれていますか?

Mami
毎週日曜日はごちゃまぜで、クッキング部屋を朝の9時半から一時間半くらい担当しています。ゲストを呼ぶこともあるし、自分が担当で全てすることも。英語と日本語で両方を使って紹介しています。モデレーターとして糀屋本店のMyoho〈妙峰先生〉、Naoko Mollerさん(Japacityメンバーさんの方)、Osamuさんがいらっしゃって、楽しく参加してくださっています。麹や発酵の話にもなっています。
Meiko
お仕事以外でMamiさんが日ごろ楽しんでされている趣味は? 
Mami

私はズンバとかダンスが好きで、お散歩する前に毎朝踊ったりしています。散歩は趣味というより日課。それをしてからごはんを。お仕事の時は時間がずれてしまい歩けないですけれど。

本当の趣味はお料理ですかね。ただ最近なんだか食欲をなくしてた時期があって、しばらくどうでもいいや、って落ちていた感じもあったんです。でもあるものであれこれ作っているうちに”Mojo is back!” になりました。彼も料理人だけど彼のは家庭料理ではない、台所は汚くされるし、結局は自分で作るのが良いかなぁ🤣😂

お店していた27年間は、私はまかない担当係でした。ランチは自由でしたが、一食(夜)だけは従業員が働きたくなる気持ちになるまかないを作れという指令だったんです。

お店は従業員さんが一番多かった時で、30人くらいが働いてくれていました。55席のメインのフロアーとバーとラウンジもあって、待機のお客さんも多かったんです。二階席には個室もありました。雇用していたスタッフさんはほとんどがローカルのオーストラリア人。ビザ縛りなく長く働いてもらいたかったので現地の人を雇っていました。鯛を一匹で仕入れた際、頭を酒蒸しでまかないで出したら、みんなものすごくびっくりしたりして。そういう顔や表情だったり、”美味しい”って目を輝かせて食べてもらえるみんなの顔が楽しかったです。タコ焼きをはじめ、日本文化や食生活を教えてあげながら働いてもらったりしていました。ホントにみんないい子たちだったので、楽しかったし面白かったし、良い思い出です。

ところで、実はこの間コマーシャルを勝ち取ったので、来週撮影なんですよ。オーストラリア全土展開のフードチェーンのCMに出ます。これからますますがんばります~!!

おばあちゃん役です。こういう役で息の長い役者をしていきたいです。映像も取れたら、皆さんにもシェアしますね。

 

Japacityとは?

Meiko

楽しいお話ありがとうございます。ここからは活躍の程をどんどんShow Off!しちゃってくださいね。

MamiさんにとってのJapacityとは?

Mami
Japacityは色んな色の金平糖。なんだか色んな粒がごつごつ、ぽこぽこ、ごてごて、つるつる。。🤣😂🤣😂いろんな色があって、でもどこをつまんでも美味しいよ。そんな気がするところ。
Meiko

Mamiさんの表現がアーティスト!なんか感動しました。Japacityメンバーの一人ひとりが輝いて日本や世界のあちこちでリアルに生きてる、っていう生命エネルギーとの共鳴、共感がとても素敵で大好きな私。Mamiさんとのインタビュー約1時間40分もとても幸せな時でした。ブログにこうやって残して行かれる幸せを味わっています。

次は誰を掘ろうかな~😏

メルボルンのシンボル、Flinders Street Station のライトアップ🎄
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