お待たせしました。Japacityメンバーインタビュー第33回目は名古屋のMuroちゃんです。リビングでは謎?がいっぱいっていう噂のMuroちゃん。そんなMuroちゃんとプライベートルームで、たっぷりその魅力ほりほり。。。迫ってみました。
「私なんて掘ったって、何にも出ませんよぉ。。。」って、いやいや、リビングではまだ聞いたことがなかったお話も聞けちゃった。ぜひ、みなさんもじっくり読みふけってくださいませ。
各質問は、事前にリビングで集まったメンバーさんからの声から、Meikoがセレクトしてみました。
本名は!?

まずは折り紙Yuki先生、Katsueさん、Takeshiさんをはじめ、複数の人が、本名はなんですか?って聞いていますよ~。


いろんな声が出ていましたよ。

本名ですか? 良くある名前です。自分が住む地域の役所で保険年金担当として働いていた時、ある日上司に呼ばれ、「君は毎日10時まで残業しているのに、アルバイトもしているのか?」と言われた事がありました。「??」と思ったのですが、実はお誕生日まで同じの同姓同名の人がいて、社保庁がその人のデータを私のデータとして間違って入力していたのです。公務員はアルバイト禁止なのに「素直に言ったら怒らないから言え」って迫られて疑われました。社保庁が間違えるくらいよくある名前です。一般的な名前過ぎるのは困りますね😅
Muroちゃんといえばヤギのお話!


当時(今から5~6年前の事です)仲良くしていた殿方がある時、The Other KidsというNHKの世界のドキュメンタリーの番組を見せてくれました。スペインで活躍していたトーレスというプロサッカー選手にあこがれているウガンダのストリートチルドレン、リーガンがサッカーの奨学金で学校に行くというストーリーで、そのサポートをしているコーチや家族、学校の状況なども交えたドキュメンタリーでした。(https://www.imdb.com/title/tt3779858/) それを見ていて殿方が「この子(リーガン)は上手だから絶対にプロのサッカー選手になると思う。応援したい。」と熱く語ってくれて。。。
その殿方の誕生日が近く、殿方の誕生日にリーガンからHappy Birthday!っ言ってもらうサプライズをしようかな、と思いついて…。アフリカに精通している友人(アフリカのとある国の領事)がいて、ウガンダにも友達がいるからって探してくれたんです。すぐに「リーガンが見つかったよ」って連絡があって、時間がかかる事を覚悟していたのでこれには本当にびっくりしました。
リーガンを見つけてくれたウガンダ人の協力でメッセージビデオを現地で撮影。リーガンには出演料として学費を援助することにしました。ちなみにその出演料は、大阪のムロツヨシさんの舞台に行くのを一回我慢して捻出(笑)。 ところが、リーガンに近況を聞いていくと、番組で紹介されていたコーチ(自らの家で子供達を数人引き取り家族のようにして養ってた)が洪水で死んでしまい、今は違うコーチのところでお世話になっていることや、コーチが持っているプレステを公民館のようなところで貸し出して、その貸出料を自分たちの食料に充てていることを聞いたんです。そして、コーチを亡くして信用できる大人は誰もいない、というのです。ショックでした。そして、これはなんとかしなければ、と何かが自分の心の中で動き始めた瞬間でした。
誕生日のサプライズはまさにTheサプライズとして成功。そしてリーガンの状況を相談した殿方からは、「一回支援したら、それはリーガンの人生に関わることになる。彼の人生に一生関わる覚悟があるならやりなさい。」って助言をもらって。自信があったわけじゃないのですが、やらなければならないって強く思ったんです。そして数日後にはホームページを作り始め、洪水で亡くなったコーチの名前アンソニーをいただいて、アンソニー基金 https://anthony-fund.jimdofree.com/ https://www.facebook.com/anthonyfund2017 を立ち上げました。
最初は、友人などの身近な共感者から支援してもらったお金で授業料やスクールホリデー中の家や食料を用意したりしていたのですが、「ヤギ」を始めたのはある出会いからでした。当時職場に来ていたウガンダ人で、JICA(独立行政法人国際協力機構)のプロジェクトに関わっていた人がいて、彼と何回かやりとりしているうちにウガンダでヤギビジネスをする、という話を聞いたんです。私もヤギを飼うことができるかしら?と軽い気持ちで聞いてみたところ、数日後にOKをもらえて、そこからヤギプロジェクトが始まりました。英語で契約書を書く、という初めての経験もしました。
このヤギプロジェクトには、ジャパシティのメンバーの方からもご支援いただいていて、本当に感謝しています。継続した支援をしてくださる方も現れて、学費サポートを1人増やすことができそうなんです!現地の支援者に今候補者を出してもらっています。
今後、ご協力いただける方が継続的に増えていったら嬉しいです。

偶然見たTV番組から、人を思うアイデアが、現実世界に飛び出して、リアルなつながりを生んで、それが、彼らを支える基金にまで成長した。。。素敵なお話にウルウル感動です。。。😍😍😍と感動してるそのそばから、ドイツAtsumi さんが 「ヤギのチーズは食べますか?」ですって💦

ヤギのチーズですか?おそらく食べた事はないです。牛乳は苦手で、小さい頃はチーズはたべられませんでした。オトナになってからとろけるチーズが食べられるようになりました。
初めての海外とワーキングホリデー

最初の海外はいくつの時?どこですか?

初めての海外は23歳の時、ハワイです。ハワイの高校を卒業した友人がドライバーズライセンスの更新に行くというので、マリンスポーツを兼ねて行きました。現地をよく知っている彼女のガイド付きに加え、彼女の伝手でシェラトンに無料で泊まる事ができちゃったラッキーな旅でした。
でも。。。彼女の目的は、達成されず。更新手続きカウンターで「あなた、来年の今頃来てね。一年早いわよ」って言われたんだそうです(笑)


初めて行ったオーストラリアはワーキングホリデーだと思いますが、なぜ、オーストラリアを選んだの?

初めて行ったのはワーホリの下見の時でした。オーストラリアを選択したのは、時差が少ないからです。母がかなりの心配性なので、時差をあまり気にせず連絡が取れる方が安心させられるかな、と思って。その下見のときには、母と弟とで家族旅行のような形で行きました。安全で素敵なところだよ、と心配性の母をとにかく安心させたかった。
当時の英会話の先生がオーストラリアのGold Coastで部屋を貸してくれる家族を紹介してくれたんです。そのご家族はご主人がイギリス人で、娘さんがイギリスに行くからその部屋が空くということで、下見に行きました。
シェブロンアイランドという橋で本土とつながっているような、小さな島にホームステイする事になったのです。下見ではいくつか語学学校も見に行ったりしました。スムーズなワーホリ生活の始まり。
思うといつもありがたいご縁に恵まれています。


最初の3か月は、The Holiday な日々。毎日カジノに行っていました(笑)
お金が無くなって働かなきゃ、とお寿司屋さんでアルバイトしました。当時のワーホリビザは同じオーナーの元では最長3か月しか働けないという期限付きだったんですが、3か月働いたらオーナーが変わり、ラッキーなことに引き続き3か月働けたんです。その後カジノ巡りを兼ねたオーストラリア周遊の旅に出ました。シドニー、メルボルン、タスマニア、アデレード、クーバーピディー、アリススプリングス、ダーウィン、ケアンズ、ブリスベン と東側ぐりぃっと3か月かけて車で旅しました。





実はカジノ通(笑)

カジノ最大の勝ちの思い出話は?

勝ちの思い出話は、あるスロットマシーンで、1セントがけで700ドルくらい出た事です。その夜はずっとマシーンに張り付いていました。徹マンならぬ徹カジ😅
ルーレットもします。ルーレットはですね、ゼロとゼロゼロ(ヨーロピアンとアメリカンが違うかな?)がある台が存在しているのですが、当時オーストラリアはゼロしかなく、毎回ゼロに賭けてました。ゼロを外すのはバッドラックの感じがするんです。
ちょこっとずつ賭けて遊んでいくスタイルで、ディーラーがルーレットを回す前にポンポンってチップをおいていくんです。時間が経つうちに、この子負けてきたなって思うと置いた数字に入れてくれてディーラーが遊ばせてくれる(勝たせてくれる)ような気がします。オーストラリアではディーラーにチップをあげる事はできないので、とびっきりの笑顔でThank youと言うようにしてました。赤か黒か!で盛りあがっている時に、そろそろゼロかなって思うと当たったりしますよ。
ホテルのスタッフとして働いているとカジノの養成学校に行けると聞いて、それを目的でホテルで働きたいと思って聞きに行ったんですけど、ビザが合わないこととディーラーになるとカジノ自体には客として出入りできなくなると知り、やめました。単純なところは今も変わってないですね💦
今のお仕事について

Takeshiさんから、「職業は?どんなお仕事?をされていますか?そのお仕事に就くきっかけは?将来の夢とか目標を教えて下さい。」

仕事のことを聞かれるとどうやって説明したらいいのかいつも迷います。University Research Administrator(URA)という職名で、第三の教職員とも呼ばれている新しい職です。一般的にURAは大学の研究をどう外に出していくか、研究者の研究活動の活性化が主な仕事ですが、私はあまりそういうことはしておらず、学生さんに対してのサポートが主な仕事です。大学院の中でカリキュラムコーディネーターの肩書ももらっています。学生の研究テーマを聞いていると、こんな研究があるんだ、っていう気づきや驚きが多いです。
夢は、カタカナ5文字の役者さんのような旦那さんと楽しく余生を過ごすことです。そして何か世の中の役に立つようなこともしていけたら、と思っています。


実は、とある方(その人もカジノのスロットで儲けてお寿司屋を経営されていた😅)がフランチャイズ展開でケアンズに新しいお寿司屋を出すという話があって、内定がもらえていたんです。このまま仕事に就いたら3年は日本に帰れないと思ってください、と言われたため、一度日本に帰って家族に挨拶しようと思い、一時帰国しました。
ケアンズの会社の顧問弁護士からこれこれこういうビザを取ってきてくださいと指定されたビザを取ってオーストラリアに戻ったら、「ビザの種類が違う」と入国の際に別室に連れていかれてあれこれ尋問?されて…。忘れもしない、シェリル・モートンという名の入国審査官にここにサインしろと言われ、サインをしたらそのまま強制送還!という運びになっちゃったんです。
それで、日本で働く事になったんですが、オーストラリアに戻る気満々でいつでも辞められるように、派遣で働く事に。その派遣先が大学だったんです。担当していた学科の先生から、大学院に行ってみたら?とお誘いを受け、短大卒でも大学院に行けるのですか?と聞いてみたら、今は大学卒と同等の能力があればいけるようになったんだよ、と教えて下さいました。オーストラリアはビザの発給条件も変わったのでオーストラリアで働くことはあきらめて、日本で本腰いれて就職活動を始めました。でも、応募条件に「大卒」と書いてあって土俵にも上がれない、という悔しい思いを何度かしてまして、ほんとに学歴社会だな・・・、と痛感。
間もなく今働く大学の教授と出会い、大学院の進学の面倒を見てもらえる事になりました。現在の職場は修了した大学院です。

思えば、あの時ビザが間違われてて強制送還になったので今がある、ということですね!

そう!観光ビザで入って、現地で労働ビザに変えていたら、日本に帰されることはなかったです。
顧問弁護士が取ってこいと言ったビジネスロングというビザは、日本企業で働いている人がオーストラリアへの出張で行き来する場合に持つビザで、私には当てはまらなかったようで。皮のスーツケースのネジまで外されて中をチェックされていたので、何かの運び屋?に間違えられたのかもしれないです。
もし、強制送還が無かったら、ケアンズで働いていたはずです。
ちょっとマジメに、好きな学者さんは?

一番好きな学者さんは?その理由は?

学者さん~?えっとですね。心に響いたのは、昔、何かのお話をさせて頂く機会のあった教授、江龍修先生です。物理系、半導体の表明加工などの研究者で、ノーベル化学賞受賞者島津製作所の田中さんもこの江龍先生の理論を用いています。
”研究とは、みんながHappyにならないといけない” と教えて下さった方で、自然界に安定して存在するものしか扱わない、だから扱うのは原子まで、というポリシーをお持ちです。
例えば、極端なことを言えば、医学の進歩で長く生きられるようになっても、介護の問題、痴呆の問題など出てくるわけですよね? それは、みんながHappy にはあてはまらない。あとは、核のように人間が手を加えなくては存在しないものには手をつけない。
研究者としてだけでなく人として物事を捉える角度や倫理観がすばらしいな、と感動したのを覚えています。

やっぱりムロツヨシ。。。

やっぱりムロツヨシさん関係の質問も多数来ています(笑)
「ムロツヨシさんが好きなのは分かるのですが、2番目に好きなのは?」
「ムロツヨシさんずっと一本ですか?ほかにも好きな人がいますか?」

そうですね。今はいません、ムロさんだけです。ムロさんの前は平井堅がまあまあ好きで、堅ポテトっていうスナックを毎晩一袋食べてましたね、堅ちゃんの堅だ~って。
周りのみんなに「それはちょっと違うと思うよ」って言われてやめたかなぁ😅

リアルに会ったSuzuyoさん、Daice-Kさんにも、Muroちゃんと呼ばれていますね?

Japacityとは?

Meikoからの恒例の質問です。MuroちゃんにとってJapacityとは。

Yuriさんの去年の誕生日のお誕生会で、Yuriさんに「ドラえもんのどこでもドアのような場所を作ってくれてありがとうございました」と言ったんですが、今はJapacity自体がドラえもん、ドラえもんのポケットなのかも?って感じています。
いろんな国、年齢も幅広く、いろいろなお仕事で経験を持っている方が集まるJapacity。みんなでいれば、何でも出来ちゃう!?っていうような気がしています。
今回のブログは33回目。私の数秘33なんです。
3と3を足すと6。6はMuroの6(笑)
今回のインタビューにも運命感じるなぁ😅
いつもの柔らかいMuroちゃんの口調が耳と心に優しく響くインタビューでした。
本当にグリーンピーズのメンバーさんはそれぞれ個性豊かで、特別な輝きをそれぞれに発しているなぁって。そしてそんなメンバーさんに深堀り話が聞けるこのインタビューは、
本当にやめられませ~ん!!!😂😂😂
Muroちゃん、ますますリビングでもいろんな話題でつながりましょう。つながれますように。
感謝です🥰
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