第35回 Japacityメンバーインタビューは縁の下の力持ち、汪さんです!

第35回、メンバーインタビューは、機会があったら素顔にせまりたい〜!と常々感じていた、リビングルームとグリーンピーズの仲間を影でいつも温かく見守ってくださっている汪さんに突撃してきました。汪さんには去年のJapacity創成期からイベントのたびにた〜くさん、本当にお世話になっています。どんなお話が飛び出すかな。よろしくお願いします。

焦った経験

Meiko

まずは、いつも落ち着いていらっしゃる汪さんに、Yutakaさんからの質問です。

「今までで一番焦った、聞いてないよぉ!的な現場はありましたか?そしてそれはどんな場面でしたか?」

汪さん

以前、千葉テレビで働いていた時の話です。毎週放送されていた船橋のローカル番組で、競馬の結果を報道する番組に携わっていた時代の事。通常VTRの素材は競馬場から映像が来る→曲選択→アナウンサーの話の音撮り→それらと絵を合わせて作っていくという作業手順のはずが、、、一番焦った経験で思い出す話なんですが、、、

当時通常は自分が編集をしていたのですが、その時は会社の方針で、新人にやり方を教えてくれという指示だったので、その人に教えながら編集をやっていました。

実際には編集が伸びて、最終的にできあがったのが放送時間の本当にギリギリになってしまったんです。テレビ局の中のマスター室で仕事をしていたところ、そこの人が「おい、今日の大丈夫か?」って言い出した。実質的にはテロップはできていたんだけど、それを何分何秒にどこの映像に合わせて流すかのキューシートを書いて納める時間がなくなってしまい、コンピューターで打ちこんでいく時間もなく。

結局は放送直前で、テープだけができたけど、テロップだけは別にセットして、キュー出しをしてほしいと、その場で頼まれたわけです。VTRはあったけど、そのテロップ出しが「生本番」になっちゃったんです。それはすごく焦った経験でした。

とりあえずは、なんとか無事に乗り切れましたが、こういう業界にいて、こんな風に待ちに待たされ、タイムキーパーに間に合わずっていうのはあれだけだったかな。

Meiko

これは同じ業界のYutakaさんもヒヤヒヤ💦しそうなお話ですね!

中国との関わり

Meiko

Tetsuzoさんからの質問です。

「中国に相当詳しいようですが差し支えなければ渡航歴、経緯などをお聞かせ下さい。」

汪さん

私のおやじは石川、お袋は四国生まれで日本人です。辻という性でした。

上に3人の兄姉がいて自分は末っ子です。彼らは戦前横須賀生まれ。疎開はお袋の親族がいたので北海道。自分は戦後生まれです。私が3歳でおやじが他界したので、兄貴たちの世話になりました。兄貴は海上自衛隊にいて千葉の航空隊に転勤になったので、小学校5年から高卒までは千葉です。中学の時、兄貴が根室の海上自衛隊にいた時期があったので、1年半は根室にいました。

就職で東京で暮らし出して知り合った女性。彼女は上海人でした。彼女との結婚が決まった際、彼女の性の「汪」を名乗る方が周りにもインパクトもあって覚えてもらいやすいかな、くらいの感覚で性を「汪」にしました。

初めて中国に行ったのは結婚の承諾をもらいに行ったのが初めてで。1995年だったかな。

上海に行きはじめの頃の写真

その後、年に一回から二回は中国に行っていました。そのうち池袋の弁護士事務所のコンピューター機器の面倒をみる技術者が欲しいということで、そこで働き出しました。そこの弁護士が東京、名古屋の弁護士と組み、大連に弁護士事務所を作るというプロジェクトを始め、動き始めた事で、1999年に北京に陳情を含めて行きました。そのあと2000年6月くらいに許可がおりたので、再び、大連の事務所を借りる手続きに同行しました。2000年8月に北京に開所。しばらくそこの事務局長代行をしていました。開所当初は一年に数か月は単身赴任で大連にいて、その後はビザの関係もあって、一年に1〜2回くらいのペースで戻る感じになっていきました。2009年まではその東京の弁護士事務所で弁護士の個人秘書という形で仕事をしていました。

2008年離婚。大連に関しては行ったり、来たり。実際は北京、南京、上海、大連、吉林省吉林市、延吉市、そして成都には例の地震の後の調査にも仕事がらみで行きました。

成都の現場に行ったとき、TVの報道で受けた印象とはかなり違う状況を目の当たりにしました。地震でお店のシャッターがすっかりしまってしまったという映像が日本では出ていたけれど、その絵を取ったその場所はすでに地震以前に閉店になっていた商店街だったんです。町はわりと平穏でした。奥地の被害はかなりあったけど。

上海に元かみさんと結婚するために行った時は高速道路もない時代でした。その後は、半年ごとに行くたびにどんどんと町が成長、変わって行っていく、そんな中国を見て来ました。

上海テレビ塔
上海の森ビル

以前上海、北京は特に自転車が多かった。大連はそうでもなかったです。日露戦争時、日本軍が入っていたことで、日本とロシアの影響が強く残っている所も多いです。

Meiko

中国語の達人ですよね?

汪さん

いやいや、大連に行くまでは挨拶程度でした。ニーハオ~って。大連で勉強する時間はあったけど、生活する言葉や買い物等には苦労しない程度ですよ。

今のお仕事

Meiko

Ryoheiさんからの質問です。

「今のメインのお仕事、活動を教えて下さい。」

汪さん

今のメインの活動は、その弁護士事務所の仕事に関わっています。

他は携帯の関係を教えたり、ビデオ撮影したり、、です。

映像の仕事は、最初は結婚式のビデオ撮りから始まっています。式場の司会をされていたアナウンサーさんの御主人が千葉テレビのカメラマンだったというご縁があって紹介され、20代後半から千葉テレビに数年いました。結婚式は土日、祭日、大安がメインで、それ以外の日は時間が空くので日当5000円、食事付きでお金をもらえて勉強できると思って行き始めたといういきさつです。「見て覚えろ!」という時代。経験がさしてなくてもできると言われたので、自分をふるい立たせて、学びにいっていました。

その後テレビから離れた時期があって、その時にNECの代行店がバスに積んでいる料金機を作っていてその料金機が搭載されている京王、東急、小田急、西武バスのメンテナンスをしていました。

ところがその料金機の故障が当時やたらと多く、修理伝票をメインでデータを作って、ワープロでソートをかけて、と色々やっていたのですが、さらに細かいソートをしたいという思いからPCを買い、データベースを作って統計を深めていきました。

30代前半、グアムの取材のときの写真。カメラを持っているのが汪さん。

30代前半から独学でコンピューターを勉強してきました。機会の構造や仕組みや働き方は直観的に理解することができました。そのうちその料金機の欠陥の根本原因を見つける事に。工場の人間に伝えると、なに若造が言ってる??って言いつつも、説明を聞きに来たので、「これこれこうなので、券がうまく出ていない」と説明したんです。工場の主任がその分析に納得。NECの上の人達に一目置かれる事になりました。

東急に新しいバスの料金機が入るというタイミングでも、日電にNECの担当者と一緒に不具合を直す方法のスーパーバイズに行きました。その営業所でもメンテナンスをサポートする事になりました。バブルが終わる少し前でした。営業マンが売った後の設置のサポートを担当する人を探していると聞いて、声がかかった際は月60万ならそのポジションを受けると強気で交渉。OKもらって、その仕事を一年近くやっていました。

故障の連絡が入ると、機械の部分が脳裏に浮かぶんですね。ここが壊れたという状況報告を聞きつつ、映像を説明し解説するように、応急処置を教えていました。その後、現場に出向きサポートサービスを提供する、そんな形を取っていました。

その後独立して、個人業者になりました。

そのうちバスの会社から、「NECさん(NECの仕事をしててNECのロゴ入りのユニフォーム着ていたもんで)時刻表なんとかならない?」と言われたんです。それまではバス停の時刻表は看板屋が作っていたり、ワープロの手打ちの物が貼られていました。そこには入力ミスがあったり、確認に時間がかかっていた。

その時刻表システムをどう作っているのかから、まずは調査しました。データベースのプログラムを作るところに関わり、データ部分の手入力には触れず、入力さえ間違わなければ、各バス停のそれを自動的に設定できるシステムを作ったんです。

そのうち東急から、横浜市交通局も同じことで困っているという事を聞いて、そこのシステムの出力を管理する部分もサポートしました。契約でお手伝いをしていました。それから東急バスからも受注がくるようになりました。

もう少し資金的余裕があれば、その時刻表のシステム関係の会社をやれていたかもしれないですね。

人生を楽しむための趣味

Meiko

もう一つRyoheiさんからの質問です。

「人生を楽しむためにしていらっしゃる趣味、生き方、考え方、などお聞かせ下さい。」

汪さん

趣味は映像のほうに今は戻っていますね。演歌歌手のタマゴの方のYouTubeのカラオケビデオの素材集めをしています。静止画、動画ともに集めて、そこから展開したいと思っています。映像、編集。好きなので一生したいですね。

京都でも素材をとりたいと思い、最近も撮影に行きました。夜行列車に乗る前に大阪でも映像を集めました。自主的に一生動ける間は仕事もしたいし、色々な事をやって来ているのと、個人事業が多かったため年金をかけていなかったので、ここからは隙間産業をしつつ、ここ5年くらいで仕事を構築、その後はそれを若者に伝えて行きたいです。

音楽、アーティストの方への関わりはクラブハウスでの活動からと思っています。ただ、日本の音源の問題には、心を配っています。曲を流す、、という部分で原盤権の問題があって、その部分では演歌歌手のタマゴというのは、実費でCDとかを出している。彼らの音源を使う事にレコード会社も甘いようです。

Meiko

Katsueさんから「いつもクラハ等のアップデート情報をありがとうございます。いつもとても情報が早いですがどのように収集されていますか?いつ寝ていらっしゃいますか?」

汪さん

実質的にはネットサーフィン、他社と勝負しつつ、です。早い物勝ちしたいな、っていう気持ちもありますね。ちゃんと寝ていますよ。😅😅😅

Japacityとは?

Meiko
Meikoからいつもの質問です。汪さんにとってのJapacityとは?
汪さん

今はもう、なくてはならないルームかなと思っています。クラハラジオというルームを作っていますが、実質的にはJapacityのメンバーの活動の中で、展開していけたら。

JASRACに関しては更新や申請等の説明をするルームもできるし、音源、原盤権は複雑で繊細な問題なので、Japacityメンバーさんが、気にせず音源を利用したその後で、なにかいやな思いをされたりすることがないよう、ご注意の意味で時折リビングルームでも話させてもらっています。音源の隣接権(原盤権とはまた別)を理解していない、気にしていない方もいるのではと感じています。質問や相談があったら、いつでも声をかけて下さい。

汪さん、色々と教えてくださり感謝しています。これからも現役続行!この先も大好きな映像のお仕事に邁進してください。

ドローンさんやYutakaさんとのコラボ企画ルームなども動き始めている様子。体に気を付けてますますのご活躍を、応援、お祈りします。

グリーンピーズとJapacityをこれからもよろしくお願いします。

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