第36回 Japacityメンバーインタビューはサブカル担当Waki Toriiさんです!

Japacityの日本在住チームをまとめるべくLINEのオープンチャットの面倒も長きにわたって見てくれていたWakiちゃん。オープンチャットをグリーンピーズひとつにまとめる時も細かくコミュニケーション、お手伝いしてくださいました。表立ってではなくても、近くで遠くでいつもJapacityをあったかく応援してくれているWakiちゃんに、皆さんから寄せられたたくさんの質問を携えてアタ~ック!してきました。

幼少時代、そして高校時代にオーストリアへ

Meiko
まずはTetsuzoさんから子供の頃についての質問です。「いつも清楚でおしとやかなイメージがありますが、幼い頃はおままごとを静かにされていましたか?どんなお子さんだったのかなぁ。」
Waki
幼いころのおままごとでは、男子役が多かったです。いとこも一緒に集まると女子5人ほどになります。そんな時に仮面ライダーごっことかになると、私は主人公になりたくて、男子役になっていました。全然おしとやかではなかったですよ。
Meiko
次にKatsueさんからの質問です。「オーストリアに留学されていた経緯は?なぜオーストリア?」
Waki
オーストリアへは、父の仕事の関係で行きました。日本で高校に入ってすぐの頃、父がオーストリアに転勤になるという事がわかりました。両親は大学の音楽サークルで知り合ったので、二人とも無類のクラッシック好きです。赴任先がウィーンと知り、「それならぜひ家族で行きたい!」ってなって。母は教育熱心で、姉はピアノ専攻だったし、そのためにもなるしという考えだったと思います。私と妹は普通にアメリカンスクールにポンと入れられました。
Meiko
なるほど~、「家族でおー!!」って盛り上がっちゃったんですね。
Waki

当時、海外赴任する家庭は、日本に持っている自宅を不動産屋を通して賃貸物件にしたりしていました。しかし両親は違っていて、それまで住んでいたマンションをすっぱり売却して、ウィーンへ引越してしまいました。なので、日本に帰国の際、それこそどこに住むかで、少々どたばたしてましたね😅 今思えば、私としては高校3年間をウィーンで暮らせたこと、アメリカンスクールで過ごせたこと、そして外から日本を見れた経験、この3点は得難い経験だったと思います。ただ、非常に残念なことをしたと今になって思うのは、当時はまだまだ「がきんちょ」だったので、ウィーンの歴史的文化的背景を知らず、数々の素晴らしい美術館や博物館、文化遺産的な建造物とかもろもろ、真剣にちゃんと見ることなく帰ってきてしまったことです。帰国して以来、まだウィーンへの再訪はできていないんです。ただ、私の人格形成に大きく影響を受ける多感な10代に、貴重な経験ができたと思っています。

友人との旅行写真。
ウィーン郊外。
着てる服から、たぶんJunior(11年生)が終わった頃、同級生と

今のお仕事は?

Meiko
KatsueさんとYutakaさんからの質問です。「今のお仕事に関わるようになったのはなぜ? もともとサブカル好き?」
Waki
クリエイティブな事をしたいという気持ちは、もともとありました。今は、ゲームアプリのシナリオライターをしています。 ゲーム業界のシナリオ作りは、ドラマやアニメのシナリオ制作とは、かなり異なります。ゲームアプリのガチャシステムはユーザーに課金を促すシステムで、そこで利益を出しています。なので、いかに課金してもらえるか、そこを常に意識しなければなりません。ストーリーのメインキャラクターやガチャでゲットできるレアキャラクターのストーリー作りには、名前がクレジットされるレベルのシナリオ担当が書いています。それ以外の膨大なガチャキャラクターに、ユーザーから満足してもらえるレベルのシナリオを作り、納品することが私の仕事です。スマホゲームでは、膨大なキャラクターのシナリオが必要なため、メーカーはシナリオ作成を外注するんですね。 お仕事の依頼は、結局は人脈の世界だったりします。トライアル情報は人づてに「こういうのあるから受けてみる?」という感じで連絡が入ります。トライアルが通っても厳しく精査されます。納品の仕様が決まっているので、個人のクリエイティビティを発揮できるかというと、そういうわけでもありません。シビアで、しばりがキツイ業界です。それでもゲーム業界は超人手不足なので、私のような後発組でも参加できる懐の深さがあります。ものすごくブラックですけどね。 私は、もう少し脚本の勉強が活かせる仕事を、いつも探しています。
Meikp
未知の業界のお話、興味深いです!
Waki

そもそもは、中学生の頃に「私はアニメが好きだ!」と自覚しました。親は教育熱心で、本はいくらでも読めましたが、マンガは禁止でした。たまーに、お小遣いでマンガ雑誌を買っても良い、くらいでしたね。姉が買っていた『りぼん』を覗き見したりしていました。とにかくマンガは好きでしたね。そこからアニメに。宮崎駿監督のナウシカ劇場公開の時は中1か中2だったのですが、その時期と前後してアニメ専門誌を買い始めました。ネットとかはない時代ですから、情報誌を読みあさってましたね。アニメは専ら見る側でした。今はゲームですが、まさか自分が作り手になるとは、その時は思ってはいなかったです。

帰国子女枠で大学進学し、卒業後に就職、結婚、退職、出産、子育て、子供が中学生の頃に復職という、オーソドックスなルートを辿りました。会社の仕事をしている時も、「好きなものはずっと好き」との思いは持ち続けていました。 そうこうするうちに突然、「好きなことに戻ろう!」と、気持ちとして転機が訪れたんですね。 主人に頼らず「自分の給料で一人でやってみよう!」と一念発起した後、正社員としての転職にも成功し、その辺りからお金の余裕もできたので、脚本を勉強する資金ができました。

アニメファン!

Meiko
今お聞きしたこととかぶりますが、Azusaさん、じゅんちゃんからの質問です。「アニメファンになったきっかけは?」 
Waki

これという明快な理由は、ないかもしれません。しいて言えば環境でしょうか。 母は教育熱心で、マンガはかなり厳しく規制されていました。母はピアノ教師で、生徒さんが多く、私が学校から家に帰るといつも生徒さんにレッスンしていましたね。そんな時におやつを食べつつ、テレビ東京のアニメーション枠をいつも見ていました。いわゆるカートゥーンを吹き替えで放送していたんです。 トムとジェリー、チキチキマシン猛レースとか、いろいろ。ルーニートゥーンズやハンナバーバラの作品が、たくさん放送されてました。後に、宇宙戦艦ヤマトなども、この枠で再放送されましたね。キャンディ♡キャンディ、魔女っ子モノなども再放送で良くみていました。自然に意識せず、学校から戻ったら常に見てるという環境、小学校の低学年からそういう生活習慣でした。母がピアノ教師じゃなかったら、ぜったいに見せてもらえなかったと思います😅😅 塾には行っていませんでしたが、毎日18時から夕食の時間まで、バイオリンのレッスンを厳しく言い渡されていたからです。とにかくバイオリンは厳しくさせられていました。

Meiko

Azusaさん、じゅんちゃんからもう一つ、「一番好きなアニメーションは?そのわけは?」 

ナカニンさんからは「アニメや漫画で2回3回とみてしまいたくなる作品を教えて下さい。」

Waki

一番ですか? 難しいけど。3つ挙げて良いですか?

  1. 幻魔大戦 (SFものの劇場公開)りんたろう監督。興行成績良かったです。
  2. クラッシャージョウ
  3. 風の谷のナウシカ (アニメ劇場版)<<スタジオジブリが生まれるより前>>

この3つの作品を公開時に映画館で観て、「私はアニメが好きだ~~~~!!」っと自覚しました。とにかく染み入った作品でしたね。 自分が何者かと気付かされたり、形作られていく年頃、感受性豊かなそんな時代に、どっぷり見ていたせいもあるかと思います。少ないお小遣いの中で、何度も見に行ってしまった3本です。

人生の分岐点と得たもの、そして将来の夢

Meiko
Yasuakiさんからの質問です。 「人生で一番苦労したこと?人生の分岐点はありましたか?」 
Waki

分岐点はありました。 先ほどお話したように、小さい頃からバイオリンを厳しく、まさにスパルタ的に習わされていました。親が怖かった頃で、いやいやでしたがとても止めたいとは言えなかったです。ですが、怖いながらも続けていると、そのうち技術はついてくるんですね。それなりに弾けるようになりましたが、ウィーンで通っていた先生に、いやいや弾いているのを見抜かれてしまったんです。楽器も買ってもらっていたので、バイオリンを止めたい気持ちを親へなかなか伝えられず、辛かったですね。そうこうしているうちに、母が察してくれました。バイオリンで音大へ!と期待していた母だったのに、「やめたいの?」って声をかけてくれたんです。 帰国まで、残り半年くらいの時期だった記憶しています。

とてもお世話になった先生と。

当時、石川静先生(有名なバイオリン演奏家)がウィーンを拠点に活動されていました。母の言葉で、「アマチュアで良いんだ」って肩の荷がおりたところで、静先生からバイオリンを習う機会に恵まれました。その時のレッスンが、一番身になりましたね。先生は、自ら弾いて見せて聞かせて下さるスタイルで、とても贅沢な時間でした。わずか半年ほどでしたが、今でも思い出します。 その時味わった解放感から、大学進学後にまたバイオリンを弾こうと、再び自分から思えるようになりました。今では親には感謝しています。 つまり一番大きな分岐点は、いったんバイオリンに決別して、プロになるのをやめられた時ですね。

Meiko

Muroちゃんからの質問です。「Wakiさんは、バイオリン、漫画や映画と、芸術に関係したことに長くふれてきた人生のようにお見受けしました。これらを通して得たもので一番価値がある(あった)と思うものは何でしょうか?」

Waki
それはクリエイティブな作品を見た時に、新しいものに出会えたという感動、そして出会える喜びです。 いろいろなオリジナル作品を見て、その中で、これはなにか新しい!と感じた時の感動は、ずっと忘れられません。そういう出会いがものすごく幸せです。アニメ、ドラマ、映画にしても往年のファンという方々がいて、懐かしい話に花が咲きます。新作が出たとき見に行ったり、配信を見たりして、凄いというものに出会えた時も、生きててよかった😍ってなりますね。
Meiko
日本語Yuki先生からの質問です。「将来実現したい夢は何ですか?」
Waki
夢?えーっと、そうですね。実現したい夢は、今の私の年齢で将来っていってもなんですが、なにか作品を作りたいと思っています。私が原作になれなくても、才能のある人をプロデュースするとか、調整に関わるとか、とにかくクリエイティブな作品作りに関わりたい。そんなチームにメインで入れる。なんて機会に恵まれたら最高です。

 Japacityとは?

Meiko

Meikoから何時も皆さんに聞いている質問です。WakiさんにとってJapacityとは?

Waki
Japacityはなんて言ったらいいのでしょうか、クラブハウスの中の「お家」みたいなところ。そこにJapacityのお部屋があるので、クラブハウスの中で安心して活動できる。なにかあったら、だれかに聞いてもらって、落ち着ける場所。なにか問題があったら行けばいい、みんながきっと考えてくれる、って思える場所。Yuriさんはじめ、Meikoさん、皆さんが醸し出すファミリー感に、いつも安心しています。 そう、まさに「お家」です。ほかにいい言い方があるかな、「いつでも帰れる場所」🥰です💞 

リビングではあまりじっくりお聞きしたことがなかった、”ささ女”仲間(Meiko&Katsueも)のWakiさんの素顔に迫れた気がします🥰深掘りが楽しくてインタビューシリーズも勢いが止まりません😅次は誰にインタビューしようかな😬

関連記事

第35回、メンバーインタビューは、機会があったら素顔にせまりたい〜!と常々感じていた、リビングルームとグリーンピーズの仲間を影でいつも温かく見守ってくださっている汪さんに突撃してきました。汪さんには去年のJapacity創成期からイベントの[…]

関連記事

Japacityメンバーインタビュー、34人目はイギリス、ブリストルご在住の Yuka Hollowayさんです!実はJapacity 初期からのメンバーで、スイスのYutakaさんをうまく操る影の殺し屋😎とも言われています(笑) そ[…]

関連記事

お待たせしました。Japacityメンバーインタビュー第33回目は名古屋のMuroちゃんです。リビングでは謎?がいっぱいっていう噂のMuroちゃん。そんなMuroちゃんとプライベートルームで、たっぷりその魅力ほりほり。。。迫ってみました。 […]

関連記事

32人目のJapacityメンバーインタビューは、最近「世界の教育」のお部屋の定期開催を始めてくださっているNobuki先生です!マジメな先生という顔の裏で、リビングではときどきお茶目なお話もしていらっしゃるNobuki先生をMeikoが深[…]

関連記事

Japacityメンバーインタビューも31人目となりました!今回は、リビングでおかえりなさいといつもあたたかい声で迎えてくださるシェフの岸洋介さんです!ここぞとばかり、いろいろ掘り掘りしてきました🥰 イタリアンを選んだきっかけは? […]

関連記事

Meiko Renさん、それではインタビューよろしくお願いします。 Ren どこから話そうかなぁ。。。 と、おっしゃいつつ、Renさんの壮大な自叙伝をお伺いする事になりました。[…]

最新情報をチェックしよう!