【エベレスト登山】そもそもシェルパとは?

2014年4月18日の雪崩事故ではシェルパという言葉が頻繁に登場した。現地登山ガイドと説明されているが、登山をしない人には分かりずらい。そこで今回はシェルパについての簡単な解説。

日本語のウィキペディアにもシェルパの項目があるのでそちらも参考に。

そもそもシェルパとは?

ネパールに住む少数民族の呼び名ウィキペディアによると2008年の時点で約15万人。分かりやすく例えると日本でいうアイヌ民族のようなものである。

日本のようにほぼ単一に民族で構成されている国民にはイメージがしにくいが多民族国家であるネパールの国民を構成する一つの民族。

見た目はインド人アーリア系の掘りの深い顔でなく、もともとチベット人であるために中国人や日本人の顔立ちに似ている。山岳部で紫外線の強い地域なので日焼けして浅黒い人も多い。

【写真】シェルパの男性。
【写真】シェルパの男性。

一民族であるシェルパがなぜ登山に関係してくるか?

ネパール国でシェルパの居住区は比較的高度が高い。シェルパの里と言われるナムチェバザール村は標高3440m、日本では言うならば富士山の八合目にある村だ。

【写真】シェルパの里と称される標高3440mのナムチェバザール。
【写真】シェルパの里と称される標高3440mのナムチェバザール。

高度に弱い人ならば高山病を引き起こす高さ。このように高所で生活しているシェルパは高度に対して強いとされ、1900年代初頭ヨーロッパからのヒマラヤ遠征隊の現地の案内、荷物運搬、荷揚げを手伝う。

また当時のヨーロッパの登山隊がから登山技術を学ぶとシェルパはルート工作にも手を貸すようになった。これが登山においてのシェルパの活躍の始まりである。

1953年エベレストの初登頂がなされるが、それはイギリス隊のエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイであった。

こうして登山でのシェルパの活躍が世界に知れ渡ることになる。

こうして現代ではシェルパは民族というよりも登山ガイド、補助としての意味合いが強くなっている。だからと言ってシェルパ族すべての人が登山ガイドというわけではない。

特にエベレスト登山においては

エベレストは国が威信をかけて登山隊を送り込み、登頂を競っていた時代から、現代は商業登山・公募隊が主流になっている。

この公募隊登山を補佐するのがシェルパの役割になり、1990年代に入ってからは難所にルートを工作するのはシェルパの仕事という風潮が強まってきた。

そこでシェルパ達はチームを構成し毎年登山期になると難所にルートを工作するようになり、そのルート使用料を課すようになった。

公募隊からすれば、ルートの使用料を支払えば自らルートを切り開く必要もなく難所を通過できるので、これが一般的になる。

逆にシェルパがルートを工作してくれないと難所が通過できないという状態にもなった。

2014年4月に起こったシェルパの死亡者16人を出した事故はルートを工作するシェルパチームを襲った。

シェルパ達はこの事故を受けて2014年のルート工作を中止、するとシェルパのルートを工作をあてにしていた公募隊はそれ以上進めないという事態が起こり、この年のネパール側の登山隊はすべてが撤退した。

【写真】ルート工作されていないと難所の通過は難しい。
【写真】ルート工作されていないと難所の通過は難しい。

まとめ

シェルパというのはもともと少数民族の名称であったが、ヒマラヤ登山でで活躍するシェルパの名が広まったのでシェルパ=登山ガイドという取られ方をするようになった。

登山記事に登場する「シェルパ」のはこの山岳ガイドのシェルパを意味する。

<関連リンク>
【エベレスト登山】簡単解説。2014年の雪崩はなぜすべての登山を中止させたか。
【エベレスト登山】2014年4月18日エベレスト史上最悪の遭難事故発生。
【エベレスト登山】超初心者のため、この上なく簡単にエベレスト登山解説。

ツイッターで更新、最新情報をつぶやいています。