第30回 JapacityメンバーインタビューはRenさんこと穎川廉さんです!

Meiko

Renさん、それではインタビューよろしくお願いします。

Ren
どこから話そうかなぁ。。。

と、おっしゃいつつ、Renさんの壮大な自叙伝をお伺いする事になりました。ここでのインタビュー記事ではそのお話の中から抜粋で構成させていただく事になるのですが、本当は全てを書き記しておきたかったです。。。

台湾生まれで日本へ

Name

まず、Katsueさんからの質問です。「台湾育ちのRenさんですが、台湾時代の思い出とか、カルチャーショック、逆カルチャーショックとかありますか?」

Ren

僕は台湾生まれで、小学校3年まで台湾で育ちました。

小学校4年の時に親の仕事の関係で一年間ウィーンに。その後両親が台湾に戻らなくてはならない事情になり、落ち着いた日本で教育を受けたほうが良いという判断で、僕と妹は日本の祖父母の元で育てられる事になり、小学校5年からは両親と離れ、日本(東京)の祖父母の元で育ちました。祖父は大正生まれの人。両親から預かっている大事な孫ということで、祖父母にはしっかり育てなくてはという責任感があったのだと思うのですが、大正時代の人の責任感の表現の仕方は厳格で厳しかったんだと思います。遠慮してしまっていたところもあり、いつまでも居候の感覚でした。カルチャーショックというよりも、どこか他人の家に住んでいるような冷たさを感じていました。ただ大人になってからは、色々と祖父母の愛があったからこそだったという事に気づきました。今思い起こせば、もっと彼らの胸に飛び込めばよかったと思います。

Meiko
台湾からウィーン、そして日本だったのですね。
台湾時代
ウイーンで
Ren
余談ですが、アメリカの大学時代、祖父がツアーでアメリカに来たことがあったのですが、そのままツアーの行程から離れて大学に訪ねに来てくれた。一週間共に時間を過ごしたのですが、その時じいちゃんが、アメリカ人が明るいので、行く先々でHelloとかGood morning とか声をかけられて、アメリカと戦争経験のあるじいちゃんが、人見知りをしないアメリカ人にいい気分になっちゃった。そうしたら見知らぬアメリカ人とすれ違いざまにGood morning! This is my grandson! なんて積極的に声かけて、向こうのアメリカ人が「Thumb up 👍」してくれて。その姿を見ていたら、祖父が自分の孫を誇りにしているんだな、、というのに気づいた思い出があります。
Meiko
もう一つ、Katsueさんからの質問です。「リビングルームでお聞きした、雨の中でそっと抱きしめるお話にメロメロでした。ブログで書いても良い程度で初キッスのお話とか聞いても良いですか?」
Ren
初キスの話の続きは実に面白くないですよ。期待はずれでごめんなさい。(笑)実は後々、中学の友達の結婚式の時、彼女と再会する機会があって。お話したんですけど、お互い照れていた程度でした。
Meiko
初キッスのお話聞いてない方はリビングで掘り掘りしてください!
高校ラグビー🏉部時代。高校生でこのイケメン!オーラで、どれがRenさんかすぐわかりますね!だめですよ、一番右の人?とかボケちゃ😂

遠距離恋愛からアメリカへ!

Meiko
Azusaさんからの質問です。「リビングルームではプライベートのお話を聞くチャンスがなかったのですが、ご家族の事、紹介していただいても良いですか?」
Ren

高校はラグビーをしたくて選択。そこは進学校でした。成績が良かったので、推薦でいい大学へいけ、と学校サイドにはいわれたのですが、ただ祖父母のもとから飛び出したかったので、大学はアメリカへわたりました。

アメリカではオレゴン州立大学(Oregon State University)で野生動物保護学科の専攻からアリゾナ大学(University of Arizona)に転校し、電気工学の学士号を取得、卒業後は大阪で松下電器産業株式会社(現:パナソニック)で働きだした時代はずっと寮生活でした。

社員寮に遊びに来てくれたお母様と
Ren

あるとき、今の妻である台湾の女性に出会う事に。両親の知り合いの娘さんで、実は小さい頃から知っている幼馴染でもありました。その彼女が台湾からNYの音楽大学に進むため、大阪空港経由で行くというので、それなら京都とかを紹介したいと思い観光案内をしました。そのあとNYに飛ぶ彼女を空港へ送り、そこから文通が始まりました。お互いの心に気づいていくことになり、遠距離恋愛が始まりました。

当時は寮の部屋に電話はなく、寮長の詰め所にだけあった電話が鳴る。呼び出されプライバシーも何もなくおしゃべり。目の前には「電話は3分以内に。続きは公衆電話へ。」と書かれた張り紙があったような時代です。さらにどの公衆電話でも国際電話対応になっていたわけではなかったので、徒歩20分をかけ駅前まで歩いていって、日々電話をかけていました。年中酔っ払いがその公衆電話を占拠してたりして、辛かった記憶です。

彼女と結婚したかったので、アメリカの研究所、フィラデルフィアに送ってほしいと本社に直談判したんです。人事と話す中、当時は期限付きの駐在ビザと現地採用の労働ビザでは違いがあったと思うのですが、一旦松下を退社、アメリカ松下電器に再就職したら良いという事に。日本サイドで会社を辞めて、アメリカ松下電器に再度雇われるという前提で、自費でアメリカに飛び、H1 という種類の就労ビザで、働きだす事になったんです。

手持ち3000ドルでアメリカの暮らしを始めました。銀行口座を作り、アパートを借り、結婚へ。一つ年下の妻です。2000年に生まれた大学生の娘がいます。ペンシルベニア州ピッツバーグ市の大学に通って専攻はバイオリン演奏です。

日本にも来たことがあります。

妻と共に苦労してできた家庭です。喧嘩もするけど、強い絆でつながっていると思っています。

奥様とお嬢様と3人家族
大学生になったお嬢様

大きな決断のとき

Meiko

Yasuakiさん からの質問です。「Renさんの武勇伝のお話が聞きたいなぁ。ここぞという大きな決断の思い出は? フィラデルフィアでのお話も聞きたいです。」

Ren

アメリカで仕事をはじめた時、所持していたのは、H1ビザで3年間有効のもの。延長するとさらに3年。ただ一回しか延長できないというものだったので、6年の間にグリーンカードを取ろうとしました。さもなくば日本帰国という選択肢しかなくなってしまう。ただPriority(優先順位) が設定されており、看護婦や、介護の人が優先、つづいて配偶者、博士号所持者、ようやくその次にスキルドワーカー(熟練労働者)。僕は大学しか出ていないので、最後の最後のスキルドワーカーカテゴリーだったので時間がかかるだろう、と思われました。

もう時効だからお話しますが、当時パナソニックではある優れた映像技術(松下方式)を発明していました。自分もその開発に深く関わっていました。

日本ではNHKが神様!の時代、彼らはその技術を好んでいなかったため、このままでは日本ではその技術が闇に葬られるはめになる危機でした。

そんなとき、ワシントンDCにFCC(Federal Communication Commission)つまりは電波の割り当てや新しい放送・通信方式を決めるという連邦政府機関があり、ちょうどアナログからデジタルへ変わろうとしていた時代だったので、松下方式をワシントンDCで合衆国に認めさせれば、日本も動くのでは?という戦略的な話になったんです。

それならば、フィラデルフィアの研究所に日英両語を使える、しかもこの発明の開発に直接関わった技術者の穎川がいる!と僕に白羽の矢が当たる事に。

Meiko
ご活躍されていた様子が伺えます!
フィラデルフィア市庁舎からの眺め
Ren

ということで、FCC傘下の規格化委員会のミーティングに召喚されました。そこにはSony やPhilipsの代表など、そうそうたるメンバーが来ていました。彼らは実はリタイアメントしているロビイストで、僕より30~40歳は年上。コンサルタントとして各社の名刺を持って活動しているつわものでした。その会議でも、みな口々に松下方式に「NO」と言ってきた。私が会議に参加する情報を事前に掴んでいたんです。そして優秀さゆえに松下方式の米国政府採用を恐れていたのは間違いありません。いつも温厚な委員長のラリーも「NO」を言わざるを得ず。アメリカのNOは日本のNOよりも断定的できついもので、RCA(仏トムソン社)の代表からの「松下方式をこの委員会で二度と協議をするのはやめよう」という提案が全員一致で承認された。つまり我々の発明は永遠に葬られました。

その結果を日本の研究所所長に報告したら、めげるなと励まして下さった。そして所長の友人であるMIT(マサチューセッツ工科大学)のシュライバー博士に電話しろ、と。さっそく連絡をすると博士は松下方式が放送・通信・コンピューターの三つの異なる業界を融合させる優れたシステムである事を正確に認識しておられた。そして、その融合に向けてご自身もご活動されていたことを知りました。

「応援する。次の会議に私も出席する。」

電話越しのその力強い声。いまでも鮮明に覚えています。

 

Meiko
シュライバー博士とは?
Ren

シュライバー博士は(英語の文献のみでごめんなさい)

https://en.wikipedia.org/wiki/William_F._Schreiber

https://www.printaction.com/remembering-william-schreiber-371/

博士は画像処理の権威。博士から学ぶために日本の大企業が研究開発者をMITに留学させていました。有名なところですと日立の吹抜敬彦さん。

そんなシュライバー博士を師匠としてではなく、同僚として、一緒にワシントンDCで、時代を動かす機会を下さった松下電器になんて御礼を言うべきか…。社運を25才の実績ゼロのエンジニアに賭ける大胆さ。脱帽です。いま経営者になった自分にその大胆さがあるのか?「ある」と言える自信はありません。

Meiko
そのような方がバックアップに来てくださったんですね!
Name

はい。博士が現れた会議の日の話に戻りましょう。会議の日、博士は私の横に座り、会議参加者は驚きざわめきました。民間人にも公開の委員会とはいえ、博士は委員会に出席するとの事前連絡をしていなかったようですが、アメリカはオープンな社会。有名人でもある博士に各委員は丁寧に挨拶し、会議が始まりました。

まず議長はApprove of the Minutes(前回の会議の議事録の承認)から始まった。そこには松下方式の提案を葬る決議が承認された、との記載があった。

「異議が無ければ次に」と言ったところに、シュライバー博士が異議を申し立てた。そこから彼の説教が始まった。立ち上がって話しだしたんです。「良いですか、白黒テレビがカラーに50年前に移行した。今アナログが、デジタルに変わるという50年に一回のチャンス。一つ一つの提案を公平に誠意をもって議論すべきだ。ミスターエガワの提案を議論すらさせなかったのはおかしい。アメリカ精神に反する!」と。

そこから審議は盛り返され、ついに松下方式がアメリカ国家の規格フォーマットの一つになりました。日本サイドでこれを面白くないと思う人や団体がいたでしょうが、本社で応援して下さった方々が「アメリカのエガワという若造が勝手にワシントンDCで暴れたようで…」などと言って、まわりの批判をかわすことができたら、と願っていました。いずれにせよ、日本の国内規格も米国規格に追随せざるを得ず、結果的に松下方式は日米のみならず全世界で採用される事になりました。松下の戦略が勝利した場面でした。松下から賞状を受けることにもなりました。この出来事をきっかけにただのエンジニアを超えて、素晴らしい人々との貴重なつながりを作る事ができました。

嬉しいことに最初、私を問題児として扱っていた委員長のラリーも私の貢献を認めてくれました。そして「この男はアメリカの映像技術のDX化に貢献した」という内容のレターを移民局に出してくれた。私が一番苦しい時に。そのお蔭で私のグリーンカード取得審査が加速され、私は無事6年のビザ滞在期限が切れる前にグリーンカードを取得する事が出来ました。

市民権とれた際のRenさんご夫婦

オペラへの造詣が深い面も

Meiko

Yoshimitsu先生からの質問です。「大部屋のオペラかミュージカルのルームのモデレーターをされていた時のRenさんのお話しを聞き、舞台芸術への造詣がとても深いと思いました。そこのところ聞かせて下さい。

Ren

父がオペラの劇場で仕事をしていた人で、子供の頃からオペラを見て育ち、舞台芸術をみて育ってきました。ライブ配信TV放送の世界に僕はいるわけですが、それでも本物の現場、舞台芸術を超えるものはないと思っており、皆さんにも応援してほしいと思っています。

戦争が世界のあちこちで起きていて収まる事を見ない今、芸術と文化への相互理解が、お互いの世界そのものへの相互理解につながるきっかけになると思っています。文化しかないと思っています。その中でも舞台芸術は動的で、音楽があり、表現のレベルが違う。最高レベルだと思っています。スペインと台湾の価値観でスぺインのストーリーを表現するある作品がありました。

結婚式の場面。新郎の前の彼女があらわれ、新郎に詰め寄る。「なぜ、こんな女と」スペインのオペラの演出は、ある意味チャンバラで大暴れでの表現となるような場面。

ところが台湾の演出は違った。ジプシーの女の殴り込み。上流階級の新婦の女と目が合う。感情のぶつかり合いをなんと3秒の無言で表現したんです。女と女の間の羨望、畏敬、嫉妬、悲痛、憎悪、哀れみ、感謝を表した。その表現に感激したことがあります。その無言静寂の中に新婦にとってのジプシーの女性への感謝もあったのです。ひどい男との結婚を止めてくれる、その感覚の中に得も言われぬリスペクトが存在。アートが表現しうる解釈が本当に素晴らしいです。

Japacityとは?

Meiko
Meikoから皆さんにお聞きしている質問です。RenさんにとってJapacityとは。
Ren

「鏡」です。

色んな角度の鏡に囲まれている万華鏡のようなお部屋がありますよね。ルームに入った時に5人居たとすると、それぞれの鏡にそれぞれ違う姿が映る。同じようにJapacityのリビングで皆さんとお話させて頂くと、さまざまな意見が出て、自分をいろんな角度から見る事ができるそんなお部屋だと思っています。

松下幸之助さんの発想なんですが、社風の一つに「全員経営」という文言があります。

松下に入ったとき、「穎川くん、みんな君が優秀だと知っているけれど、研究の前に皆ビジネスマンだよ。社会に役立つものに人はお金を払っている。趣味ではない。一人ひとりが会社のために儲かる事、社会貢献に役立つことを!」というものです。

全員が関わってるという意識ですね。

一人ひとりが自主的に参加し自発的かつ積極的に価値を付け加えるルームがJapacityです。松下の「全員経営」に似ている気がしていて、まるで古巣の職場に戻ったような懐かしさと温かさに触れることができる、私にとってかけがえのない部屋です。

Meiko
ありがとうございます!(感涙の涙)
Ren

最後に皆さんに伝えたい事をお話します。

僕がオレゴンの州立大学にいたとき、ワシントン州立大学にラグビー部として遠征に行きました。その時の出来事です。

アメリカのラグビーはアメフトとは違い、大きなスタジアムで行われる事はなく、ある意味草野球。応援団がフィールドの線のすぐそばまで来れるんです。

ワシントンもオレゴンも白人が多い州。ラグビーは15人vs 15人。球技の中では一番多い人数で行われる。試合では29人白人、自分だけが有色人種でした。ステップが得意で実は僕は目立っていたと思います。その時、ワシントン州立大学の応援団にやじを飛ばされました。かなりの人種差別的用語を乱発されたのです。「Rice ball」とか「Yellow monkey」とか「 Sushi Boy」とか。やる気をそごうという思いからだったのだと思います。

ご存知のように、ラグビーは試合が始まったら、コーチは口を出せない。そして「主審が絶対」の世界。それにも拘わらず、その時、遠くで、向こうのキャプテンが何かレフリーに話かけているのが見えました。試合中にコーチですら口を出せないレフリーに、選手が話しかける図というのは普通は考えられません。内容は聞こえなかったのですが、レフリーがうなずいたのが見えたんです。そしてレフリーがそのキャプテンにタイムアウトを許したんです。

そうしたら、彼は自分の応援団の所に行って、「黙れ!」と言ったんです。「オレゴン州立大学からの彼らは今日のゲストだ!人種差別用語を吐くとは!恥をかかせるな!」 と。応援団は黙りました。

ラグビーこそは、真のジェントルマンなスポーツだと、心から思いました。

高校時代に、とある試合で116対10とかで、勝った事がありました。その時、監督は僕らを叱ったんです。「もっと点数を取れるはずだった」と。一瞬「なんて欲張りな監督さんだ」と思ったんですが、監督が言うには、お前らが手を抜いて試合していたことは向こうのチームには伝わっていたと。それは相手に対しての侮辱であり、どんな相手であっても、自分のベストをぶつけ、胸を借りる事が真の本当のスポーツマンだと。

「ラグビーは少年をオトナにし、大人に永遠の少年の魂を抱かせる。」(ラグビー・フランス代表元主将、ジャン・ピエール・リーブ)

役割、自立、規律、自己犠牲、ノーサイド(昨日の敵は今日の友)精神。これを教えてくれたラグビーに感謝。そしてラグビー人口が更に増えるといいなーと願っています。


今日はMeikoさんの素晴らしいリードのおかげで話したい事が自然にいっぱい出て来ました。

有難う御座います! Japacityにさらなる栄光あれ!

いつもリビングで感動的だったり、くすっと笑わせてくれたり、また深く考えさせる話題を提供してくださるRenさん。どこまでもジェントルマンで、外面も内面もイケメンである原点を、今回のインタビューで見せていただいた気がします。記念スべき30人目のインタビューにふさわしく、もっともっと深堀りしたい気持ちでいっぱいですが、またリビングでお話ししましょうね!

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