日本を再び南下している。もちろんヒッチハイクで。
目指しているのは山口の下関か福岡、そこから船で韓国に渡る計画だ。
京都では梅山君の所で知り合った岡村さんを訪ね、数日滞在させてもらう。ある日の晩、岡村さんが、一枚の紙を私の方に差し出しながら、
「君の旅行をもっと面白くしたいから」
と言う。
「何だろう?」
その差し出された長方形の紙を受け取る
「下関 釜山 3月24日」
の文字が目に入った。下関発韓国釜山行きのフェリーチケットだった。チケットには既に日付が入っていて、私のために準備してくれていたものだった。
貨物船で沖縄に渡れたので韓国へもそうして渡ろうと考えていた。
沖縄に渡るのも苦労した、韓国へ渡るのも難航するのは分かっていた。これほど嬉しい贈り物は無い。しかし「ちょっと待って」と心の声がする。
感情部分では素直に嬉しいのだが、このまま受け取っていいものか悩む。
なぜならあまりに大きすぎる援助だからだ、受取ってしまうと自分の中の何かが崩れるような気がした。
水を貰う、少しの間車に乗せてもらう、時には一晩寝かせて貰うこともある、それらの今まで受けてきた「好意」と解釈したものに対してでもこれはあまりにも大きい。
好意に大きい、小さいは無い。しかしこの岡村さんのしてくれたことは100%自分に向けられたもので、自分以外の誰にも当てはまらない特殊な行動なのだ、わざわざそこまでしてもらうほどの人間ではない、私は。そんなものに値しないのだ。
チケットを目の前にして「ありがとうございます」が口に出ずに、言葉が詰まる。 同時に岡村さんの「面白くしたいから」という言葉を頭の中で反芻する。その意図は?
なんてことはない岡村さんにとって「もっと面白いものが世界にはあるんだ」ということ。「日本を出ろ!行って来い!外へ世界へ!」ということか。
それとも、ヌクヌクと日本国内に留まってるんじゃなくさっさと過酷な地に行って、その過程を報告して俺を楽しませてくれということか。
いずれにしても岡村さんは私の背中を押そうとしている。押される先は底の見えない崖か、霧の向こうに隠れた未知の世界。
言葉が通じず、文化の違う世界に入る入場券だこれは。
ゲートをくぐればテーマパークの様に楽しいことだけが待っている世界では無い、むしろ状況は厳しくなるだろう。
ここは岡村さんの意図に「押されよう」委ねようと思った。この足を踏み入れた先が底なし沼でも、美しい泉でも、押された瞬間に飛び込め。悪意や哀れみで押されているのではないチャンスなのだこれは。もし岡村さんが、かわいそうに、ひどい状況で大変だろうから「これを使いなさい」と言ったら受取らなかったかもしれない。だがそうではないのだ!
「本当にありがとうございます」
と頭を深く下げてから
「間違いなくもっと面白くなります」
と私は続けた。
新宿のホームレスを始めてから既に1年が経とうとしていた。
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