チケットの日付に遅れないようにヒッチハイクで下関を目指した。
ヒッチハイクにはきちんとした時刻表はなく、当然目的地までどのくらい時間がかかるかも分からない。
岡村さんに貰ったチケットの期日までに着けるか心配だったが、どうにか当日無事に下関の港に到着。
かばんの奥底に眠っていたパスポートを引っ張り出し、搭乗口に近づく。日本語以外の言葉・・・韓国語が耳に飛び込み始めた。
こうなると「日本をいよいよ出るのだな」という実感が沸いてくる。
これから向かう外国に対する不安よりも、ここまで来るのに出会った人、お世話になった人の顔が頭に浮かび胸が熱くなった。
新宿で出会った人、それからヒッチハイクで乗せてくれた人、泊めてくれた人、食事をご馳走してくれた人本当に多くの人に助けられて自分は今ここにいる。
ヒッチハイクではないが長い長いここまでの道のりを少しずつ少しずつ数多くの人に運んでもらったのだ、そして今日本の外へ続く道の前に立っている。
「生きて日本に帰ってくるように」
どこからともなくそいうフレーズが頭に浮かんだ。そうだ、お世話になった人にまた再会するためにもこの国に戻って来なければならない。
桟橋から船に乗り込んだ。
定刻通り7時に汽笛が鳴り響き、振動と共に船がゆっくりと港を離れ出す。
船の旅立ちは飛行機よりも旅情がある、離れていく岸を見ながらそれまでの思い出に浸れるから。
「この一年間で色々なことがあったなぁ」
と回想に耽る。港が遠ざかるに従って、下関の街全体の灯が眼前に広がっていく。
日本が遠のき、韓国に近づくのだ。
外気が寒くなったので船内に下りる。もう耳に入ってくる言葉は日本語よりも圧倒的に韓国語の方が多い。
見渡したところ、若者よりも中年の韓国人が多い。
10時キッチリに何の予告もなしに電灯から明かりが消えた。
「もう寝ろ」という合図なのだろう。暗闇の中から威勢のよい韓国語が聞こえ、明かりがチラチラと見える。どうやら白熱した花札が止まらずに懐中電灯の明かりで続けているようだ。
航海は順調らしく船はあまり揺れない。
韓国ではどんなことが待ち受けているのだろうかぼんやり考えていたが、いつの間にか深い眠りに落ちていた。