2002年4月25日
ユンさんも迎えの人の車を見つけたらしく「こっちです」と私を誘導してくれる。
「この車に荷物を積んでください」といわれ言われるままに荷物を積み込み車に乗り込む。
車を運転しているのは李さんといいユンさんを韓国から中国に招待した人だ。
車は勢いよく走りだした・・・・韓国とはまた変わったレンガ造りの家が続いてやがて街にでる「お~これが中国か!」。
車はやがてユンさんと李さんの都合で町中で停車する・・・・ひっきりなしに通る車、韓国以上のクラクションの音、道路にたちこめる排気ガス、たくさんのバイク、三輪自動車、車の合間を縫って道路を渡る人々、そして道路沿いに並ぶ漢字の看板の店々中国に来たとことを体全身で感じた。
再び走りだした車の内でユンさんに「これからあなたはどうしますか??」と聞かれる・・・幅の広い道路、都市の郊外への広がりなんかを見て、
「ヒッチハイクより自転車で行ってみようと思います」と答える。
「上海まででも1000kmはあるよ」とビックリしたように李さん。
「大丈夫だと思います」頼りなさげに答える私。
「それでは昼食を食べてから、自転車屋にいってみましょう」ということになった。
李さんが食堂らしき店の前で車を止め、中に入る、ガランとした店内、なにやら李さんが注文をし・・・しばらくすると見たことも無いような貝料理が運ばれてくる。
「これを食べれば体の準備はできます、後は心の準備だけですね」とユンさん。
「中国のお金は持っていますか??」と聞かれ
「いやぜんぜんです」と私、
「ウォンは持っていまか?」言われたので、シムさんに「これで自転車を買って」といわれた30,000ウォン(3000円)があったので、
「はい、ありますが・・・」
「じゃあそれを出して・・・李さんが両替してくれます」
すっと30,000ウォンをユンさんに渡すと、李さんが100元と書かれた札を二枚差し出してくれた・・・私はこのとき元とウォンの換金率は全く分からないが・・・彼らを信用し何も言わずに200元を受け取った。
この後また街の自転車屋に連れていってもらい「一番安い自転車」を買うことになる・・・店のおばちゃんが言うには、ちょうど「200元」先ほどの200元を差しだし自転車を買う。
全く普通の自転車で、いわゆるママチャリである。
もちろん変速機などついてない、どう見ても長距離を走るにはちょっとと言う感じだが、何しろ安かったのでこれに決めた。
再び中国のお金はゼロになるが・・・韓国での残りの1000ウォン札12枚を(1200円)をユンさんが今度は80元に換金してくれる。
李さんが「ちょっと待ってて」と言い残し、車に飛び乗り走り去った。
10分もせずに戻ってきた李さんの手には大きな一枚の紙が握られている。
李さんが
「これを使ってくれ!」
と手に持っていた紙を差し出す、どうやら地図のようだ。
地図って言っても、一枚の紙に中国全土が入っていて、右には日本と韓国まで入ってしまっている。
そして隅に小さく「六百万分之一」と漢字で書いてある。
「六百万分の一って・・・・」
地図には地方の都市の名前が書いてあるだけで道は書いてない。
しかしせっかくの李さんの好意だ中国の「形と都市」の名前が分かるだけでありがたい。
李さんが地図の一点、「青島(チンタオ)」を差し、西の方向に指を進めながら
「ゴーウエスト!(西に行け)」
と英語で言う。
李さんの言う通り、地図をよく見ると現在地のチンタオは突き出た半島にあり、南下することはできない。
しかし・・・こんなでかい地図で「ゴーウエスト」って言われても・・・・わかんねぇ!
というのが正直なところだ。
「でも行くかない、それしかない」
そう自分に言い聞かせ、自転車の荷台に落ちてた紐を使って荷物をくくりつける。
それから東京の100円ショップで買ったコンパスを取り出し
「いや~これを本気で使うとはね」
言いながら蓋を開く。コンパスの針がユラユラと揺れて赤い指針が北を指す。
「ゴーウエストね」
とコンパスの示す「西」に視線を向けた。
リーさんとユンさんにお礼を伝える。
ユンさんはまだ出会って間もないのに泣きそうな顔をしている。
「大丈夫ですよ!何とかなります!」と私の方がユンさんを励ました。
そう考えないと行ける分けがない。
紙一枚に中国がすっぽり入ってしまう地図と100円ショップのコンパス・・・
こんなんで中国を南下できるか??自分でもあきれるくらいいい加減だ。
しかし、帰る道はない・・・とりあえず西に向かっている大きな道を走り始めた。
行くぜ!まずは「ゴーウエスト!」だ。