海抜0m・燃料0・所持金0円の私がエベレストに登頂して気がついたこと9つ

エベレスト登山の情報ではありませんが、2005年に海抜0mからエベレストを目指した経験を通じて感じたことを書かせていただきました。

現在、掲載サイトが閉鎖されてしまいましたので、ここに再掲しました。

海抜0m・燃料0・所持金0円の私がエベレストに登頂して気がついたこと9つ

インド最南端コモリン岬、海抜0m地点、所持金0円、燃料0(人力のみ)から世界の最高峰エベレスト標高8848mに登頂しました。極限、困難なことは多々ありましたが、それを乗り越えたが故に気づけたこと9つを紹介したいと思います。

標高8848mのエベレストへ海抜0mから挑む
【写真】標高8848mのエベレストへ海抜0mから挑む

はじめに

近年有名人のエベレスト登山挑戦などで度々エベレスト話題にあがるようになりました。

エベレスト登山を考えている人は十分な資金、充実した装備、余裕のある行程で挑みます。

今回の行程では三つのゼロを掲げていますが、それらのゼロにはどういった意味があるか簡単ですが説明します。

【画面】インド最南端の海抜0mコモリン岬からエベレストを目指す挑戦
【画面】インド最南端の海抜0mコモリン岬からエベレストを目指す挑戦

・海抜ゼロ

世界最高峰エベレストの標高は8848m、しかしエベレスト登山を試みる人は標高2800mにあるルクラというエベレスト最寄の町まで飛行機でアクセスするのが一般的です。

私はせっかく世界最高峰の山にチャレンジするのであるから、海抜0mからその高さを感じたいと考えました。

しかしエベレスト有するネパールは山に囲まれている国、海がありません、そこで海抜0m地点があるインドを出発地点に選びました。

これにより海抜0mから標高8848mの行程をすべて体感することができます。

もちろん、その分困難も多くなります


・資金ゼロ

通常エベレストの登山にはネパール政府に支払う入山料だけで100万円以上、また高価な装備品、荷物やルートを工作してくれるシェルパなどの雇用費を含め600万円以上かかるといわれています。

ちなみに80歳でエベレストに登頂した三浦雄一郎氏はエベレスト登山に1億円以上費やしたといわれています。

どうせ海抜0mから出発するのならば、所持金もゼロのほうが面白いと思い、所持金を0円に設定しました。

正確にはインドの単位で0ルピーです。

もちろんクレジットカードも持っていません。

同じチャンレンジするのであれば、困難なほどやりがいがあるとも考えました。


・燃料ゼロ

最後の燃料ゼロは人力のみを使うということです。

折角海抜0mまで来ても、そこから飛行機はもちろんバスや車を使っては何のための海抜0m地点か分かりません。

エベレストの標高8848mを体感するためにも人力以外の動力は一切使用しません

当時はタイ製のママチャリ使用し旅行していたのでそのままそのママチャリを使い行けるところまでエベレストに近づきます。

以上がなぜ三つのゼロなのかの説明でした。2004年4月31日、誰に見送られるわけでもなく応援もゼロインド最南端の聖地カニャクマリ(コモリン岬)海抜0m、所持金0ルピーで、自転車で出発しました。

それでは、この一見困難と思われるエベレスト登頂を達成して気がついたこと9つを紹介していきます。

芸は身を助ける

芸は身を助けるを実感
【写真】芸は身を助けるをリアル体験

この計画をはじめるにあたり、インド、海抜0m地点で所持金が全くない状態の私を救ってくれたのは芸でした。

芸とは中学生の頃からの趣味だった手品。

全く未知の土地であっても路上に立ち、この芸を道行く人に見せると不思議なことが起こりました。

ある人は食べ物をくれ、またある人はコインを投げてくれました。

そして笑顔で話しかけてくれる人も沢山います。

かくして所持金を全く持っていなかった私ですが、路上で芸を見せることにより糧を得て進むことができました。

この時に身を持って感じたのが「芸は身を助ける」という言葉です。

私の場合はたまたま芸でしたが、何か人の役に立てることができるというのは生きていくうえで大切だなと感じました。

水は命をつなぐ

水は命を繋いでくれる
【写真】水は命をつないでくれる

5月でもインド南部は日中の気温が40度を超える灼熱の地。

この地を自転車をこぐと、尋常でないほどのどが渇きます。

その時に必要なのが水。

日本ではどこでもコンビにがあり、ペットボトルにはいった水を買うことができるし、水道をひねれば飲み水が簡単に得られます。

ところがインドの田舎ではコンビにはもちろん水道はまだ普及しておらす、飲み水を得るのが困難でした。

雨が降らない限り、どうがんばっても自分の力では飲み水は得られません。

時々見かける井戸から、現地に暮らす人から水を分けてもらいます。

空腹は1日、2日は我慢できますが、水がないのは本当に苦しく、体中の活力が奪われて、自転車をこぐどころではなくなります。

この経験を通じて水というのは本当に命をつないでくれるものなのだと思いました。

日常では「水は大切」というのを知っていても環境によりまさに命の水というのを実感しました。



食べられることが幸せ

【写真】水の次は食
【写真】水の次は食

水が得られたら、次に重要なのは食です。

寝るところは野宿すれば料金はかかりませんが、食事はどうしてもお金がかかってしまいます。

インドの南部はバナナの木が沢山あるのでバナナをもぎながらとも考えましたが、いつもそううまいことバナナの木があるとも限りません。

路上の芸で得たお金は主に食事に使うことになります。

無事に食事にありつければ、「生き延びられた」と感謝し、おなかを満たせるだけで幸せな気持ちになりました

一歩一歩の積み重ね

千里の道も最初の一歩から
【写真】千里の道も最初の一歩から

インドの最南端からエベレストのあるネパールまでおよそ2700km。

2700kmというとピンと来ませんが日本列島の九州最南端から北海道の宗谷岬がすっぽりと入ってしまう距離。

この距離を現地のローカル自転車、いわゆるギアのないママチャリで走りました。

ママチャリでは東京から大阪まで行くのでもオオゴトだと思うでしょう。

ところが毎日少しずつ、少しずつ自転車をこぐと2ヶ月でインドを縦断できました。

一見途方もなく大きなインド。

ところが毎日毎日少しずつペダルをこぐと人力だけで縦断できてしまうもの。日々の積み重ねは大きな結果をもたらしてくれました。

方法を知り、行動にうつす

知っている人に聞く、体験している人に聞く
【写真】知っている人に聞く、体験している人に聞く

なんとかネパールに辿り着いたものの私は登山の経験が殆どありません。

世界最高峰の「エベレストに登りたい」と出会う人、出会う人に訊ねるも、皆口をそろえて「登れるわけがない」といいます。

そんな時に「エベレストに登ったことがある」という人を紹介してくれる人が現れ、そして実際にエベレストに登頂経験のある人物に出会いました。

その人は「登れるわけがない」とは言わずに、「こういった訓練や経験をつめば、エベレストの山頂に立てる」と具体的な説明をしてくれました。

そして閉ざされかかっていたエベレストの道が大きく開けました。

ここで気がついたことは「経験のある人から話を聞く」ということ。

目的地までの道筋が見え、どんなトレーニングをしたらよいか具体的な方法が見えてきます。それまでは不可能だと思っていたことも、キチンと準備をして望めば可能性が見えてきました。

そこからは登山のトレーニングや技術の習得をひたすらこなすだけです。

自分以外の人の力の大きさを知る

自分の無力さ、他の人の力を知る
【写真】自分の無力さ、他の人の力を知る

ネパールの首都に辿り着いた時の私の所持金は日本円でおよそ80円。

エベレストの登頂経験者から話を聞くとエベレスト登山にかかる費用は入山料だけでも100万円以上。

どう逆立ちしても捻出できる金額ではありません。

路上で芸をしても何年かかるかも分かりません。

そんな折、中学生の同級生が多額の資金提供を申し出てくれました。

それから当時はクラウドファンディングというものはありませんでしたが、ホームページ上にこの話を掲載したところ、想像以上の人から資金提供の話をいただきました。

自分の力では数年かかるだろうと考えていたことも、友人、知人の協力でまた道が見え始めました。

協力してくれた皆のおかげで無事にエベレスト登山に参加することがかなったのです。

そしていよいよ登山が開始します、ここでも自分以外の人の力の偉大さを知りました。

それはエベレスト登山をサポートしてくれるシェルパ達の存在です。

今日のエベレスト登山はシェルパ達がルートを工作し、荷物を運んでくれるから成り立っています。

もし、仮に自分ひとりで道を切り開いてエベレストに登れといわれればそれは途方もなく困難なことでしょう。

しかし大勢のシェルパ達が登山者達のためルートを整え、難しい斜面や岩場にロープを張ってくれるので登山ができるのです。

他の人の力の偉大さを知ると共に自分の無力さを痛感しました。

人間の弱さ、強さ

ひとは小さい、しかし偉大
【写真】ひとの弱さ、強さ

ヒマラヤ山中に入るとあたりは標高6000mを超える雄大な山々に囲まれ、人間がちっぽけな存在に思えてきます。

上の写真の左部に黒い点が4つ見えますが、それが登山者です。

自然の大きさに比べると人間は本当にアリのよう小さな存在でしかありません。

実際に登山が始まるとさらに人間のもろさを感じました。

標高が4000mを超えると高山病の症状が出始めて、気持ちは悪くなる、頭は痛くなり、食欲がなくなるといった症状が出始めます。

4000mといえば高く聞こえますが海面から4km高いだけです。

この高さで人間はすでに生活するのが難しいのです。

さらに標高が上がり、空気が薄くなる7000mになると足を一歩前に出すだけ、また何気ない行動ひとつで「はぁはぁ」と息が切れ、足を踏み出す行為が辛くなります。

日常生活では気がつきませんでしたが、人間の生物としての弱さし、しかし同時にそういった環境にも立ち向かっていく人間の心の強さも感じました。

人の力ではどうにもならないことがある

自然の力は偉大、例え人事を尽くしても
【写真】自然の力は偉大、例え人事を尽くしても歯が立たない

大勢の人の力を借りて、山頂を目指しました。ところがどんなに大勢の人間が協力しても、全く歯が立たないものがあります。

それが自然です。

自然というのは天候に始まり、風や雪の状態など人間の力が及ばない部分のすべてです。

人間達が協力し、準備をどんなに万全にしても天候に恵まれなければその試みはいとも簡単に崩れ去ります。

エベレスト登頂を決める最後の要素は自然。

人間の力ではどうにもならない大きな存在です。

人事を尽くして天命をまつということでしょうか。

意志あるところに道はある

エベレスト山頂にたなびく旗、意志あるところに道がある
エベレスト山頂にたなびく旗、意志あるところに道がある

他の人の協力を得られ、自然にも恵まれたら山頂への道が開かれます。

山頂が見えたとき、一歩一歩足を進めながら、海抜0mと海辺のシーンが蘇りました。

世界一高いところまであとほんの僅か。

この時に頭に浮かんだ言葉があります。

意志あるところには道はある

という言葉。

海抜0mの海から必死になって自転車のペダルをこぎ、ネパールに入り、登山の訓練し、実際にエベレストに登り、今の今まで心に抱えているものがあります。

それは
絶対に行くんだ
という強い意志でした。

これをも持ち続けたおかげで、少しずつですが、前に勧めたと思います。

「意志」というのは姿形もなく目にも見えないものですが、これには大きな力があります。

この意志が私の五体を前に進め、この世界一高い場所まで連れてきてくれたのです。

2005年5月31日 私は日本人として123番目の登頂者、海抜0mから人力のみは日本人初となる標高8848mのエベレストの山頂を踏みしめました。

海抜0mからエベレスト登頂は日本人初となった
【写真】海抜0mからエベレスト登頂は日本人初となった

終わりに

以上が海抜0mからエベレスト山頂までに気がついたこと9つです。

この事例では海抜0mからエベレストですが、これは登山に関してだけのことではないと思います。

人間は意志をもてます。

そしてそれを継続することにより道は開かれていくということの一例だともいえます。

成し遂げたいこやってみたいことがあったら是非強い意志を持って進んでください。きっと道は山頂(目的地)まで続いてるでしょう。

今回は以上です。
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