第17回 Japacityインタビューはオーストラリアからマク洋子さん!

前回アメリカのAndyさんからバトンが回ってきたのは、太平洋を横断してオーストラリアのマク洋子さん!創成期によくいらしていたステキなお姉様です。新機能のWave👋を使って、個室でインタビューしてきましたが、洋子さん、おしゃべり止まらない止まらない😆ということで、こちらにまとめてみました!

オーストラリアに来たきっかけは?

Meiko
Meiko
今日はよろしくお願いします!まずはくえもんさん、Katsueさんからの質問です。「オーストラリアに行こうと思ったきっかけを教えて下さい。」
マク洋子さん

 1991年11月にオーストラリアで暮らすべく移民してきました。

その前は、26歳くらいから13年日本で塾をやっていました。はじめは書道教室から。その後、生徒さんや親御さんのリクエストで、塾を開く事に。もともと家庭教師で「教える」世界にはいたんです。ちょうど、バブル期とも重なっていて、二世帯住宅を使っての教室は大盛況で、100人を超える生徒さんを教えていたような時代です。英語教育が英語圏からのネーティブな教師と直に関われるというスタイルに変わっていくなかで、私の視点も、日本の外に向くようになっていったんです。日本が世界をちゃんと見る事、学ぶ事で、よりよい社会になっていくのでは?と思い、海外移住を考えました。そして、オーストラリアを選んだんです。異国の人や文化に触れる事の大切さを肌で感じたので行動に移そうと。

英語圏と言えば当時はダントツにアメリカ、っていう空気でしたが、治安を考えたら、不安になるようなニュースもあったし、なにより移住が簡単だったんです。

 

アットホームなところから始まったお教室ですね!

オーストラリアでの生活

Meiko
Meiko

オーストラリアでの生活はスムーズに始まりましたか?

マク洋子さん

移住後はオーストラリアでの日本人の受け入れ態勢を作るという意味で、移住してすぐ1992年に留学センターを作ったんです。オーストラリア初の日本人向け留学センターでした。

そのセンターは時間と共に存在が知られていき、利用してくださる方が増えていきました。

高校、親子留学(という言葉は当時まだ一般的ではなく、その単語を使ったのは私がかなり初期?初めかもしれないと思います)などもサポートさせてもらいました。

当時は中学留学は無く、高校生がほとんどでしたが、実は日本の学校生活で問題を抱えている学生も多かったんです。そんな子供達の保護者のような存在になっていきました。

Meiko
Meiko
オーストラリアに来た日本人たちみんなのお母さんですね!
マク洋子さん

ワーキングホリデーの人のサポートも沢山しましたよ。当時ワーキングホリデーの彼らが留学ビザを取るためには、いったん国外に出る事が必要で、たいていはニュージーランドに観光などに行って、学生ビザを取って戻る、という事が行われていて、そんなプロセスのお手伝いもしていました。そんな事態を改善したく、移民局に掛け合って、留学生ビザを国内で取れるように力を尽くしました。それは時を経て実現しました。

また、TOEICがオーストラリアで一般的には実施されていなかった時代、ブリスベンで唯一自校の生徒向けにTOEIC試験を開催してた英語学校と提携して、シドニー初のTOEICテストを一般公開で実施、それをきっかけにTOEIC本社が英語圏初のオフィスをオーストラリアにオープン。オーストラリア全土でTOEIC試験が受けられる先駆けになりました。

移住後もビジネス展開が早く、お忙しい毎日だったのですね。

人生のターニングポイントは?

Meiko
Meiko
次はナカニンさんからの質問です。「人生のターニングポイントはいつ??」
マク洋子さん

離婚した時かな?最初の主人とは正式な離婚が成立したのは2002年2月。4月に今の旦那様に会い、11月には結婚。あの怒涛の時間の中で、一つのけじめがついて、有終になり、自分のなかで次に向かう!という確固とした判断になった。

私の両親はとても厳格で真面目な夫婦だったんですが、頻繁にもめていて、家庭内では喧嘩が絶えなかったんです。そういう状態を見ていて、夫婦を続けている事が幸せなの?と思っていた。前夫はとても家庭的で子供達の事もとても愛してくれていました。でも型にはまった家庭生活と学校経営とのはざまで教育者として生きていくことへの情熱がますます強くなっていく私にとっては、前夫との関係性が前に進みたくでも進めない。。というジレンマを引き起こし、がんじがらめになっている自分に気付いたのです。

彼に離婚を申し出た時「何が問題なのか良くわからないけど、君の事だからよくよく考えての事だと思う。君が望むならそうしよう。」と理解してくれ離婚に至りました。

このおかげで私は教育者としてますます強まっていた情熱が溢れだし、教育の重要性を自由に表現、発信できるようになりました。

オーストラリアに住んでよかったと思うところは?

Meiko
Meiko
Yurimaruさんからの質問です。「オーストラリアに住んで良かったと思うところは?」
マク洋子さん
違う価値観を学べたこと。それが今の人材育成、英語教育のベースになっていると思っています。日本では狭い価値観の中で育っていたと思う部分があり、そんな自分が教育の世界に入って、いろんなジレンマにも向き合っていたのが、オーストラリアという広大で豊かな環境のなかで、そのジレンマも時間と共に溶けていった。自然に囲まれ、移民の国、という環境に住み、マルチカルチャーの中で生きる。。という現実にも向き合って、きれいごとで、ああだ、こうだと、”べきべき”では決めつけられない事を本当に知ったんです。
マルチカルチャーの国、オーストラリア
ざ・オーストラリア!

日本の良いところ、好きなところは?

Meiko
Meiko
もうひとつ、Yurimaruさんから。「日本の良い所、好きなところはどこですか?」
マク洋子さん

良い所は国民性。農耕民族、つまりはプロセスや共同作業を大事にしつつ、納得しつつ結論に導いていくという精神性。欧米社会は結論がまず先に来る。日本人の心には、文化の中、言葉の中に、そういうプロセスを大切にしている謙虚さが入っている。

自分はこうだと思ったら、理屈っぽくずばっと言い切って突き進む欧米人とはまったく違う良さを日本人は持っていると思っています。海外に住む、そういう感性を持つ日本人がその良さを海外で表現して活躍できる、という時代になっていくと思うし、そんな発信力が増して行ってほしいと思います。

だからこそ、Japacityの日本の良きを世界に、という部分を、外人コンプレックスを乗り越えて発信できたら素晴らしいと思う。謙虚さが足を引っ張る場面もあるので、子供達のグローバルマインドを育てるために、英語かぶれはだめだと思っていて、つまりは、対等に、共存できる事が大切なんですよね。固定観念ぶち壊して、柔軟な感性、諸外国、英語に対しても日本人としてね。

ラブストーリーが聞きたいな❤

Meiko
Meiko
最後に、そしておそらくみんなが聞きたい質問、代表してMamiさんからです!「今の旦那様とどのようにどこで出会われたのですか? Love ストーリーが聞きたいなぁ。」
マク洋子さん

離婚の後、仕事はとても充実していましたが、プライベートでは寂しくて、時々楽しそうに買い物をしている家族連れを見ては涙が込み上げていました。

そんな時、ハーバーブリッジの下をウォーキング中に、今の主人に出会ったのです。お互いにバツイチだったこと、年齢も近かった事、色々と意気投合して、お付き合いするようになりました。4月に出会い、7月にプロポーズ、11月に思い出のハーバーブリッジの下にある公園で結婚式をあげました。来年は結婚20周年の磁器婚式です。

お互いに別々のビジネスを持っていて忙しくしていますが、ホットする時間をなるべく一緒に過ごすようにしています。離婚によって得た自由とそれに伴う多大な責任、そして一人で生きていく寂しさや虚しさを充分経験している二人なので、分かり合える事が多々あるんです。

愛する人と暮らし、教育への情熱を充分に表現できる今、とても幸せです。

ステキなラブストーリー、幸せを絵に書いたような笑顔ですね❤
マク洋子さん

塾が展開した事も含めて、私は環境や用意されていた流れの中で生きて来て、一つ一つ自分が開拓してきた!という感覚はあんまり持ち合わせていないかもしれません。

必要な時、必要な事が用意されていたような時間を過ごして来たというような気がします。

大活躍の洋子さん
著書も!

人生と経験値の本当に豊かで深い洋子さん。もっともっと、お話し聞かせていただきたかったです。お忙しい中お時間を作って下さって、ありがとうございました。

さて、次回のインタビューのバトンは、ブログ部でも首を長ーくして待っていたので、スイスのYutakaさんに繋ごう!と目論見中です。質問どしどしMeiko、Katsueまでお寄せ下さいね。

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