18回目のJapacityメンバーインタビューは、お待ちかね(?)のJapacity壮年隊のリーダー(?)、そしてスイス在住雑学王のゆたかさんです。いろいろなことをご存知で、一つ相談すると、いろいろ調べてエイヒレで送ってくださったりする実はとっても思いやりのあるゆたかさん。Meikoが個室に連れ込み、聞き込みしましたが、さらに深堀りどんどんしたくなっちゃうようなインタビューでしたよ。
山ほどの知識はどこから?
本来はそんなに話したいってわけではないんです。家内にも良く言われるのですが、説明が筋道だってないから話が長くなるんです。
実は文字での表現は得意なんです。自分で言うのも変ですけど、僕が書いた企画書は評判が良かったんです。まず書いて、推敲して、書き直して、という経過を取っているから。FBでよく地域のイベントとか募集告知をしている方の記事とかを見かけると説明文を書き足したりすることがあったりするんだけど、意外と評判がよくそのまま使っていただいたりしていたり、知識量がすごいかは自分では分かりませんが、新聞を読んだり、調べものをかなりする。それをたぶん忘れないんだと思います。
意見の情報収集としては、認めたり褒めたりしている人のサイド、逆の批判的否定的サイドの意見を両方読みます。事実を見るときその両方のサイドを見る事で僕なりの真実に近づくんです。僕なりの分析、肯定派、否定派の主張のポイントを客観的に見る事で事実から真実に近づいていく、そんな整合性を大事にしています。整合性とは、子供に説明してもお年寄りに説明しても嘘のないそして誰の腑にも落ちる、納得していただける事柄という意味です。そういう事実だけを伝えたいと日ごろ常に思っています。
台本や仕込みなんてあるの?
Kazuyaさんからの質問です。「クラハで良くお話されますが、台本や仕込みはありますか?」
一番面白かった仕事は?
一番面白かった仕事ですか?いっぱいあるんだけどなぁ。。。思い出してみますね。🤔
《しばし時間を使って思い出す。。。》
《めずらしくYutakaさんが沈黙。。。しばしして。。。》
そうですね~、”萌えた仕事” でいわせてもらうと、大きく言うと二つあるかな。どちらも実は危機的状況だった思い出なんだけどね。🤣🤣🤣
覚えている方もいらっしゃると思うけど、一つは時の首相宮沢喜一さんの時代、自民党本部両院議員総会があり、後に総理になる小泉純一郎(時の若手急進派)に不信任案をだされ引きずり降ろされた、、という出来事があった時、その生中継のディレクターを務める事になった時のことかな。昼過ぎに連絡がきたのだけれど、その時はすでに中継車もスタッフも自民党本部に出向いていて、そこへ合流するよう呼び出され急いで現場へ向かう事に。。。それはまさに日本の歴史の分岐点に立つ。そんな身が引き締まるような出来事でした。
もう一つは20年以上前の事、日テレのXX時間テレビ。その中の企画で飯島直子さんと富士登山しました。元オリンピック体操選手の池谷幸雄君と二人が登るという企画。出発の朝は順調でしたが、途中、霧、雹に見舞われ山頂近くでは土石流発生!の状態。下山時のリアルは完全に遭難!でした。機材を運んでくれていたスタッフ(シェルパ)はブルドーザーの運転手だったのですが、その方がサービスロードから捜索? 迎え?に来てくれて方向を教えてくれて、なんとか「助かった~!!」ってなったんです。ようやく無事に5合目まで帰還。
撮影終礼時、飯島さんが、「私から言わせていただいて良いですか? 今回は皆さんの努力がかなわず残念でした、もし次回があるのなら、ここの同じメンバーでチャレンジしましょう」(冗談だけどね)と発声されて「乾杯」しました。その後彼女に会うたび、「次、富士山行きますよね?」って声かけられる事に。
人生で一番悩まれたことは?
人生悩んだのは、最初の結婚と離婚するとき、だなぁ。
最初に結婚するときはフリーのディレクターとして自立していたのですが、フリーって立場はリアルでは根なし草。今出来ている事が来年も再来年も出来る保障があるのか。。。という悩みの最中。通常のTV番組の仕事、TV CMの仕事、競馬中継、カラオケビデオの演出、エアライン機内ビデオの仕事、そして仕事への自信から出る生意気な気性からか?一時は厚労省内の映像情報を作る部署に特別職で飛ばされたり!?と、とにかくがむしゃらに働きまくっていました。結婚直後、大手にヘッドハンディングされました。そこで「ハク」というか、Valueが付いていきました。彼女は自分がアシスタント時代から5年くらい付き合っていた人でした。
たぶん、自分は女房より家庭より仕事が楽しく、外で忙しくしていて家を空けている事が多くなっていて。彼女には不自由はなかったはずだし、彼女も仕事をしてたし、その仕事で成功もしていて、自分は家は安泰と思っていたので、彼女からそう言いだされたのは当時は晴天の霹靂。大ショックでホントに悩みました。。。落ち込みましたよ。
それでも離婚後も、以前から持っていた、当時はまだ現役の野球選手だった落合博満さんの様な「孤高のプロ」になりたいという願望が消えず、それが心の支えになっていて、さらにそれまでの経験を買われてNHKで働く事ができるフェーズへと展開できたんです。。
奥様のどんなところに恋を?
もともと彼女とはFBでのつながりだったんですよ。知り合って暫くして彼女が仕事で日本に長く滞在する事があり、その時に一緒に食事をする事に。都内で一緒にランチを食べに行こうってなり、たぶん一時間くらいかなって思っていたのに、今までの経緯にお互いに話は止まらず、アッと言う間に2時間も経っていて、お店のランチタイムが終わる頃合いに。
ずっと一緒に話していたい、ずっと一緒にいたいっていう時間を過ごしたんです。
その後も関わっていたプロジェクトの打ち合わせにアドバイザーとして参加して貰ったんです。
彼女は投資コンサルの仕事をしていたので、僕が震災で困っていた岩手県の牧場の風評被害の相談を受けていた際、そこに外資を入れて改革をと考えていて、彼女にもその相談ケースに乗ってもらったり。30代前半からシングルマザーで突っ走って頑張っていた彼女と運命かなぁ、引きあう、ひかれあうコトに。
これね~、はっきり言ってね~、僕たちって”Just two of us!”って感じなんですよ。なんだかこの地球上に自分たち二人しか暮らしてないねっていう感覚。
Japacityのリビングルームとは?
そうですね~。僕にとっては「本家か実家のリビング」かな。
自宅のお茶の間って感じがすごくしますね。茶の間って大事な場所じゃないですか。日常茶飯事な事を仲間と共有したり、時に深堀りで話したり。
僕はしゃべりすぎかもですが、皆さんの話は聞いてますよ。なぜって自分が実際に経験した事のない事を、だれかが「こうだったんだよ」って話してくれる事ってものすごく貴重。その人がその言葉を発信できるのに、実は何十年もその人の人生をかけて理解しているかもしれないじゃないですか?
Japacity だからこそ出来る、仕事の付き合いというようなくくりを超えて、個人と個人がつながっていく、貴重な場所だと思っています。
僕は本当に、話は知識を教えているという感覚ではなく、皆さんに「聞いて頂いている」と日々思っていますよ。「話をさせて頂いている」って思っているんですよ。
さてYutakaさん、次はブログインタビューはだれにしましょう?
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