お世話になったヤバさん一家が国境までわざわざ見送りに来てくれた。
イランに入ってから4カ月弱本当に数多くの人にお世話になった。
入国した当初はいきなり軍隊につかまり「どうなることやら」と思っていたのに、今はもう少しこの国に留まっていたい気持ちだ。
しかし「もう少し居たい」と思う気持ちで国を離れた方がまた再訪したくなるものだ。
イミグレーションの建物に入る、税関のチェックは無くて、パスポートを出すとなぜか父親の名前を聞かれたけど、問題なくスタンプを押してくれた。
建物を出るとゲートがあった、ペルシャ語に加えてアルファベットに近いロシア語の表記もある。トラックが行列をしている先に小さい橋が見えた、あれが国境になっているのだ。
「さよならイラン」
と橋を渡る、渡りきればもうアゼルバイジャンだ。
アゼルバイジャン側のイミグレーションを通過し建物を出たところで呼び止められた。
見ると制服も何も着てない白髪の男性で、こちらに向かって何かを叫んでいる。
「なんだろう」
一見して彼はちょっと様子がおかしい、よく聞くと「ろれつ」が回っていない、つまり「酔っ払い」なのだ。酔った人間を路上で見かけるのは数ヶ月ぶりだ、イランやパキスタンでは飲酒が禁じられているたから。言葉は分からないけど、フラフラと酔っ払っている彼を見てイランを出たんだなと実感した。
道を走り出してまず感じたのはイランのような賑やかさがないということ、曇りの空がその雰囲気に拍車をかけて、街を暗い感じの国に見せている。
建物のまばらで、お店も地味でかざりっけもなく、なんとなく寂しく見える。
そして「道」が格段に悪くなった。イランの道状況がずいぶんとよかったせいでこの国の道の悪さを感じずにはいられない、しかしこの手の舗装は今まで通過してきた国では普通なのだ、それを思い出しながらペダルをこぐ。
国境はすぐにアゼルバイジャン側のアスターラの町に通じている。道がティー字路になり正面が公園になっていた、イランとは異なった街の構造だ。
茶色したレンガの家が目立つ、そのせいか歴史を感じるのだろう。町がどんな構造になっていて、どっちが首都バクーに向かのかも分からない。
ついでに言葉もガラッと変わり町行く人が話しかてくる言葉さえ何がナンだが分からない。数字の1すらなんと言うのか分からなくなった、文字通りイチから覚えなおしだ。
地図も何もなく道もさっぱり分からないので、通りかかった若者に「バクー」と首都の名だけ尋ねる。こちらの思惑が伝わったのか「あっち」と指差す。
その間数人の若者が集まってきたがイランの時の様に馬鹿にしてくる様子がないのでよい。
そしてスカートをはいて髪の毛を出している女性が目に入った。
なぜかとても新鮮というか刺激的に移る、なんか見てはいけないものを見てしまったようなそんな感じだ。でもよく考えると私たちの社会では普通なのだ。イラン、パキスタンと女性が布をかぶり髪や肌を一切露出しない社会を通過してきた私にはかなりの刺激である。
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