寒い朝、一走りし自転車を止めて休んでいると、どこから現れたのか
一人のおじさんが「こっちに来い」という。
「はて?」と思うが、田舎に悪い人はいない。(と思っている。)
言われるままにおじさんの後について行く、おじさんは
パン屋に入った、おじさんについて私もパン屋に入る。
中は大きなかまど、そしてたくさんの並べられたパン。
どうやらおじさんのパン屋のようだ。
おじさんはパンを焼く釜の前にいすを置いて
「ここへ座りなさい」という。
11月のトルコは寒い、「かまど前で温まりなさい」という
ことなのだろう。
かまどのふたは閉められているが、そこから熱気が外に
出てきている。
しばらくかまどの前で休ませてもらい「そろそろ行きます」
と席を立つ。
するとおじさんは、「まぁ待て」といいながら
店の隅にある冷蔵庫から、チーズとオリーブを出し、
一番端にあるパンをナイフで切ってテーブルの上に並べた。
「飯を食っていけ」というのである。
パンとチーズとオリーブとトルコの簡単な食事。
トルコでは今までに何度となくご飯をごちそうになった。
いや、トルコだけでない今まで通ってきたすべての国で
ご飯をご馳走になった。
いつの頃からか「食べ物をもらう」ということは
その人から「命をもらっている」ということだと思うようになっていた。
日本ではそんなことも考えずにお腹がすくから食べていた。
「食」を恵んでもらえば私は生きることができる。
もらうのは食ではなく、命、生なのだ。
本当にありがとう。生かさせてもらっています。
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