南イタリアの電車はのんびりだ。
日本だったら1~2分の遅れでもアナウンスが入りそうなものだが、ここでは30分遅れても誰も気にしている様子もない。
電光掲示板には到着する8時半予定のそのままで遅延のマークも出ていない、そのまま9時になった。
「どうなっているのか?」
駅員に尋ねても、
「遅れているよ」
と別段珍しいことでもない風に言われるだで、一体どれほど遅れているのかも不明。日本なら「大変お待たせして申し訳ありません、これこれこういうわけで~」となるだろうけど。

「まぁ気長に待つしかないのか」
と諦めてベンチに腰を下ろす。
予定より遅れること約1時間、のんびりとしていた駅がガヤガヤと人で溢れだした。電車が到着したらしい。「来るだろうか?」とホームからあふれ出てくる人の顔を注意深く眺めていると、すぐに楽器を担いだ二人のアジア人が目に留まった。
(おっ!!)と席を立ち
「はじめまして!」と駆け寄る。
フェイスブックなどで写真を見ていたのでなんだか初めてという気もしない。「どうも、どうも」と日本式の挨拶。
遠路遥々辺境の地までやって着てくれたのはオノ君とユウジ君。
話を詳しく聞くとオノ君は今回の旅行では中東、アフリカを経てヨーロッパと周ってきたと言い。もう一人のユウジ君とは数日前に日本を出発しイタリアのローマで合流したそうだ。
「あれっ?ということはユウジ君はイタリアで合流してイキナリここに来たわけ?」
聞くとローマに到着して見所も周らずに、野宿をしてここに向かったという。日本から観光大国のイタリアに来て観光もろくにせずに2日目には電車に飛び乗ったそうだ。 オノ君は2年前から連絡を取っているので会おうというのはわかるがユウジ君は見ず知らずの中年男性に会いに意味も分からずにイタリアのかかとに連行されてしまったわけだ。
面白すぎるので、「そりゃひどい!」と突っ込んであげたくもなるが、来た理由が仮にも私にもあるので「むーん」。
しかし当のユウジ君は「はぁ、まぁ。」と言いながらオノ君を恨んだ様子も無く穏やかにのほほんとしている。ユウジ君の世界は平和だ。
彼らは現在泊めてもらっているところに一緒に寝泊りすることに。彼ら曰くキャンプ場かオリーブ畑を覚悟してきたのに屋根の下で眠れるだけで嬉しいという。近年稀に見る節約旅行者だ。ここまでわざわざ出向いてもらった以上は交通費分ぐらいはここで稼いでもらいたい。
というわけで早速、その夜彼らを連れ出して路上に向かった。オノ君はサックス、ユウジ君はギターを持って。
今まで路上には一人で向かうのが常だったので誰か他の人が一緒に向かうというのは少し心強いそれでいて「大丈夫だろうか?」というのも加わる妙な気分。
街の中心に向かう途中でユウジ君は路上で演奏するのは始めてだと聞いた。路上なので緊張こそしないだろうが、色々な不安があるのではないか。もしかして人目が気になって実力が出せないんじゃなかろうかと私の方が心配になってきた。
ところが、そんな杞憂は全くの無用だった。ユウジ君は全く人目を気にする様子もなく淡々とギターを爪弾き、それに合わせてオノ君がサックスを奏でる。二人で合わせる練習もロクロクしていないというのに、ずいぶんと上手い。
それに驚いたのは、二人の演奏は凄くやわらかく辺りを包む。
私が日本人だからなのか、周りのイタリア人もそう感じているのか、やわらかく丁寧で日本的。音楽云々は分からないが路上で一つの芸として彼らの演奏を聞くと恐ろしく日本的なものが伝わってきた。(別に彼らが和風な曲を演奏していたわけではない。)

曲調や旋律の話だけではなく演奏者がかもし出しているもの。演奏を聴いて日本人の極め細やかな心使いやあくなき向上心のようなものを感じた。
そういえば今まで出会った路上の日本人芸人達の技は繊細で可憐だった。彼らの音もそれにシッカリと当てはまる。それほど彼らの音の中にハッキリと日本的なものがあった。
また強く思ったのは私の芸と彼らの音楽が作り出す空間は全く異なるものということ。
彼らの音は、聴く人をうっとりとリラックスさせる、一方手品を見る人は一瞬の変化を見逃さない集中力が必要。従って足を止めた人の作り出すムードが大きく違うのだ。簡単に言うと彼らの音楽「ホンワカ~」、私の芸「人がギラギラ」という雰囲気。
同じ路上の芸人でも演じるものにより立ち止まる人が様々なのだ。これはなかなか興味深い。
道端に腰掛けて彼らの演奏を聞いているうちに夜が更けていく。