手に入れた携帯電話にはスマートフォンタイプで、カメラやラジオおまけにGPS機能までついている。
日本を発った頃、GPSなど高級品で旅行者がそう簡単に持てるものでなかった。しかし今は携帯電話になんとGPSが付属してしまっている、電化製品の進歩にはいつもながら目を見張るものがある。
そのGPS機能は一瞬にして自分がこの地球上のどこにいるかが分かってしまうのだ。通りすがりの町だろうが、道のない山岳部だろうが、もしかしたら大海の洋上だろうが自分がどこにいるか分かってしまうのだ。昔の人から考えたら信じられないような装置である。
特にこのGPSとインターネット上の地図であるグーグルマップを組み合わせると訪れるのが始めての町であっても道に迷うことなく目的地に進めてしまう。
今までは町に着くとツーリストインフォメーションを探し、街の地図を貰い、そこから地図とにらめっこして、ああでもない、こうでもない、と道を彷徨いながら、時には地元の人に道を教えてもらいながら進んだのだが、このGPSとグーグルマップを組み合わせると全くそんなことになく、快適に自力で進めてしまうのだ。
確かに便利だが人との触れ合う理由も無くなり少々寂しくもある。
自転車での走行にも大きな変化をもたらした。今までは紙の地図を見ながら、標識と照らし合わせて、迷わないように迷わないように道を進んでいたのが、これを使うといきなり大きな地図に載っていないようなローカルな道さえ入っていける。車の多い車道が嫌であったら、簡単に迂回するローカルの田舎道を探せる。
またグーグルの経路検索まで使うと、どうやって目的地に進んだらよいかという経路まで導きだしてくれるのだ。先日は移動の際に早速この機能を使ってみた。
「いや~便利な時代になったものだ」
とグーグルマップが指し示す道順を快適に進んでいる。しばらく進むと、地図は幹線をはずれ、未舗装の細い道を指し示している。
地図は
「ここへ進め」
と右折を示している、GPSで確かめても間違いない。しかし目の前に続く道は「ここか?」と唸ってしまいたくなるような、入りたくないような未舗装の川沿いの道だ。
道の前方には背丈程の草が生い茂り、行く手の視界を遮っている。今まで経験からすると足を踏み入れてはいけない道の様な気がするのだが。。。
しかしグーグル先生が「ここだ!」というのをむげに断る理由もない。
私の経験的嗅覚より天下のグーグルなのだ。
道の入り口で少々悩んだが、この未舗装の道路を進んでみることにした。生い茂る高い草木の間をペダルに力を入れて漕ぐ。少し進むと、先日の雨のせいで道がぬかるんできた。「ううっ、戻りたい、戻って舗装道路を進みたい」という欲望に駆られたが、同時に「いや、この先には道が開けて快適な舗装道路が待っているはずだ」という気持ちもある。
泥に車輪が取られ、自転車に乗っていられなくなった、「なんなんだこの道は」と文句を言いながらも一途の希望を信じて進む。
もはや戻るにしても相当な距離を進んでしまったので、「進みきるしかない!」と思っていたところでまたグーグル先生が指示を出してきた。
「左に曲がれ!」
というのだ。道は直線一本道で曲がれそうなところなど見あたらない、
「この道のどこに左に曲がれるんだよ!」
と携帯に向かって突っ込みを入れる。
しかし、しかしだ、よく目を凝らして見ると左に進める細い道があるようなないような気がするのだ。もはや道ではなく獣の通る、獣道。もしくはただ草木が人幅程度に倒れているだけ。
「まっ、まさかここか?」

携帯電話をその方向に向けると、GPSの青い矢印が静かにその方向を指し示している。
何だこの冒険モードのナビゲートは!ジャグルを進む冒険者用か?
しかしここを進まなければ、またグチャグチャのドロドロの道を引き返すことになるのだ、「もう後戻りはできない!」私は覚悟を決めてその獣道を進むことにした。もはや当然自転車にも乗れないので、自転車を降りてさらに険しく茂った草木をなぎ倒しながら進む。
それにしてもこれはひどい、何かが間違えているとしか言いようがない。
この辺りは運河が張り巡らされていてこの道が運河に突き当たってしまえば、もはや進むことはできない、それどころか、運河が足元に突然現れたら自転車共々運河に落ちてしまうだろう。一抹の不安が頭をよぎる。もうこのジャングルをどの位進んだのだろうか、相変わらず青い矢印は静かに前方に進めと言っている。
草を掻き分け巨木を避けながら進むと、突如目の前が明るく開け、眩しい光が差し込んできた。
そこには長らく見たこともなかった、車という文明の利器が停車していたのだ。そしてその向こうには灰色のアスファルト!この時私は人間界に生還したことをただ素直に喜んだ。
そして今来た道なき道を振り返り
「グーグルマップは獣道も網羅しているのか、恐ろしい」
と思い
「使う時は気をつけなければ」