泊めさせていただいた部屋は凄く豪華だった。
3mはある高い天井、壁に施された装飾、大きなダブルベットに、応接のソファセット、6畳はあるバスルームにバスタブ、もちろん熱いほどのお湯が出てくる。
昨日の野宿ととは大違いである、こんなところに泊めてもらうような自分ではないと思いつつもありがたい。何かの勘違いでなければよいが、少し心配だ。
昨日の夜、朝この部屋に迎えに来ると言ったカールさんは待てども誰も姿を見せないので、
「忘れ去られたのでは・・」とか
「やっぱり勘違い?」と不安が募る。
結局10時まで待ったがカールさんは現れなかったので屋外に出て、近くのお茶屋で茶をすする。
学内に戻り入り口の内線でカールさんを呼び出すと、電話に出たカールさんは待っていたようでも、驚いた様子も無かったので、「昨日の約束は一体なんだったのだろうか」と思う。
カールさんが「オフィスに来てくれ」とのことなのですぐにオフィスに向うと、そこから学校長の部屋に連れて行かれた。
こんな旅行者を校長先生に会わせてよいのだろうか、という私の不安とは裏腹に校長先生は随分ニコヤカに出迎えてくれた。校長先生というと年配の方を想像してしまっていたのだが、まだ30代じゃないだろうか。若い校長先生は意気揚々とこの学校の創立から現在までという長い話をしてくれた。
驚いたことに彼は5年でこの学校をここまで大きくしたというのだ、この敷地(かなり広大)といい、建物(随分と近代的)といい、彼のビジネスのセンスたるや恐るべしである。
校長室を後にするとカールさんが
「学生達の前で話をしてやってくれないか」
と切り出した。いきなり何の準備もせずに話など出来きないだろう、前もって言ってくれれば何を話そうか準備が出来たのにと
「いやいや、それは難しい」
と遠まわしに断ると、
「これまでの経過を話してくれれば十分」
とカールさんが熱に言うので当たって砕けろ精神でやってみることにした。
教室に入ると教壇があり、そこから階段式に後ろに行くほど席が高くなっている、スタジアムみたいな部屋だった。

ざっと見たところ生徒の数は50人。カールさんが簡単に紹介してくれて、すぐに私が話すことになった。これまでの経緯を黒板に図を書きながら説明し、それぞれの国で起こったことや感じたことを話し、そして
「文化や、言葉は違っても人間皆一緒ということ」
「意志あるところに道はある」
という結論で話をしを終えた。私の英語で伝えたので伝わったのかは不明、そして生徒が理解したのかも不明。

その後の生徒からの質問を受け付けたが、学生達は興味津々なのか、次から次へと質問の挙手があがった。インドの学生は随分と積極的で、一介の旅行者にこれだけ好奇心を示せるエネルギーが凄い、インドの未来は明るいなどど勝手に思ってしまうであった。
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